『まんがタイムきらら』を読んだことのないあなたも今すぐ狂える、『きららベース』追いかけ連載作品のススメ

はじめに:萌え4コマ専門誌というガラパゴスを飛び出せ

 初めましての方は、初めまして。私は妖精からっぽまる(@Cotswolds0405)、主にTwitterで百合やカードゲームの取り留めもない話をして、ときおり思い出したように好きな作品の布教文章を書くそこら辺のオタクです。具体的には、今まで下記のような記事をしたためてきました。

youseitutor.hatenablog.com

 

youseitutor.hatenablog.com

 

youseitutor.hatenablog.com

  この通り、私が好んで布教する作品は『まんがタイムきらら』系列誌に連載されている4コマ漫画。今まで私は、単純に「面白い作品が埋もれているのはもったいない!」という想いから、オススメの単行本を紹介してきました。しかし最近、このまま放置していては今後記事を書く意味を失ってしまうような、ある疑念を抱いてしまったのです。

 萌え4コマ雑誌を購読していない人には、そもそも『きらら』にドハマリし、いわゆる「日常系」作品を大量に摂取して昂奮する心理が分からないのでは?という疑いを。

 『きらら』は、狂ってしまうほど面白い――その認識は、8年ほど定期購読している私にとっては当たり前になってしまいました。ですが一般的には「萌え4コマ」や「日常系」と言うと、ライトに消費される作品のイメージが強いのではないでしょうか。

 ネットのオタクコミュニティではしばしば、日常系漫画を原作としたアニメが「何も考えず、頭を空っぽにして見られる」と評価されることがありました。無論、発言者にとっては必ずしも否定的な言葉選びではないのでしょう。ですが主体の意図と無関係に、このような評価は「癒やしやかわいさを得られる反面、深く掘り下げて読み込む価値はない」という意味も帯びてしまいます。

 違ぇんだよ。『きらら』は、めちゃくちゃ面白ぇし、噛めば噛むほど味すんだよ。

 私はそう確信していますが、自分だけで信じていても意味はありません。だから布教をするのですが、単行本をひたすら紹介していくスタイルには明確な限界が伴います。そもそも、900円近い定価の4コマ漫画の単行本をオタクの推薦文だけを頼りに買う行為は、特に未体験のレーベルを相手取る時にはハードルが高いわけです。だから願っていました。「『きらら』漫画――特に1巻が出るか出ないかの時期にあるフレッシュな作品を、雑誌以外のプラットフォームでみんなに読んでもらえたらいいのに」と。

 そして、唐突に願いは叶いました。一体どのように? 答えはこちらのリンク先をご覧ください。

seiga.nicovideo.jp

 『ニコニコ漫画』内のまんがタイムきららの公式ページ『きららベース』にて、突如として大量の追いかけ連載が始まりました。それもアニメ化作品や完結済み作品ではなく、1巻発売前後の若い注目作を中心とした形で!

 一個人には到底用意することができない、大好きな漫画を広く見て貰うための「場」が整いました。ありがとう、芳文社。ありがとう、まんがタイムきらら。今こそ萌え4コマ専門誌というガラパゴスで鍛え上げられた未知の生態系を、七つの海の果てまでも知らしめる時が来たのです。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここからは改めて布教のターンです。『きららベース』で始まった追いかけ連載は有り難いことに非常に本数が多く――しかしその賑やかさ故に、どれから手を付けていいのか、初見の方は迷ってしまうかもしれません。

 旅人には地図が必要です。そこで、この記事が皆さんに「これをまず読んで欲しい」という超絶オススメ作品をお伝えします。気になる作品が1本でもあれば、まずは騙されたと思って、すべての作品で恒常的に掲載されている最初の3話分を読んでみてください。何せ無料ですので!

①『星屑テレパス』:孤独な少女が宇宙を目指す、令和きららの超王道

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記事投稿時点で読める話数:1~10話、15話

単行本:既刊1巻(9/27に第2巻発売予定)

 もしこの記事で1つの作品しか紹介できないとしたら、私は迷うことなく『星屑テレパスを選ぶでしょう。奇しくも令和に入って初めて第一話が掲載された『きらら』作品である本作は、まさしく新時代の象徴を名乗るに相応しい品質を備えているのです。後述する『またぞろ。』と共に、『次にくるマンガ大賞 2021』の選考対象にノミネートされたことからも、実力がうかがい知れます。

 『星屑テレパス』の強さはすなわち、驚異的なまでの総合力の高さ。まず、「ここではないどこか」としての宇宙に憧れを抱く引っ込み思案な少女・小ノ星海果が、自分の想いを具象化する方法としてのモデルロケットづくりに出会い、挫折に襲われながらも一歩ずつ成長していく物語の骨格が極めて強靭です。しかも一つのストーリーラインに「モデルロケット同好会の活動を描く、現実的で地道な青春部活もの」と、「海果が出会った不思議な力を持つ少女・ユウとの強いつながりを描く、幻想的なガール・ミーツ・ガール」の要素が絡み合っている点が非常に面白い。厳然とした結果をもたらす科学的な競技の世界と、心象をそのまま描き出したような想いの世界が両極端から作品を支え、まさに宇宙のような遠大な奥行きを生み出しています。

 また一目見て分かるほど演出が巧く、映像的でテンポの良いコマ割りと、モノクロの画面で魔法のように光の明暗を描く手腕に載せて叩きつけられる快感は絶大です。絵そのものも極めて美麗で、特に布地の描きこみには時折偏執すら見て取れるほど。また登場人物の身体表現も露骨ないやらしさがないのにどこかフェティッシュで、特に海果とユウが「おでこぱしー」――ユウが持つ不思議な力の一つ。額を突き合わせることで発動するテレパシー能力――のために顔を寄せ合っているシーンには、息をのむような凄艶さが漂っています。シナリオにおいてもアートワークにおいても、最早この漫画の引き出しは無限です。

 もし序盤の優しいけれど微温湯的にも思える雰囲気にいまいち適合しなくても、とりあえず6話まで読んでみてください。この傑作の抜け目ない構成は、あなたがちょっと「ダレ」を感じてきた時に、それすらも計算のうちだったかのように強烈な刺激を与えてくれますよ。

②『ぎんしお少々』:細部に神が宿る、リアルな会話劇とカメラの魅力

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記事投稿時点で読める話数:1~6話

単行本:既刊1巻

 『きらら』読者は萌え4コマというファンタジーに没入しながらも、同時にリアルな質感を求めます。日常生活における細かなしぐさや個人のルーチンの生々しさや、会話劇に秀でた4コマ漫画の性質から繰り出される新鮮なダイアログが作品に溶け込んでいると、それを読み解く楽しさで胸がいっぱいになるのです。もしそういった楽しみ方に共感できるなら、『ぎんしお少々』を読めば幸せになれるかと思います。

 魅力は何といっても、キャラクターの会話から醸し出される実在感と臨場感。時にお互いが抱えた誤解に気づかぬまま、噛み合わないながらに進んでいくやり取りを、偏執的なまでにシミュレーションしてきます。相手のことをわかっているわけではないけど、だからこそ気になって一緒にいたくなる。そんな関係性の進展。読み進めていくほどに、句読点の振り方や漢字/カナで生まれるニュアンスの違いにまで気を配った、息遣いが聞こえてくる会話劇に夢中になっていくでしょう。

 また本作では、フィルムトイカメラを用いた写真撮影が物語をけん引する主題を担っています。これはデジタルカメラや昨今のスマホ内蔵カメラでの撮影と比べて、不便で気の長い営みと言えます。撮った写真の出来上がりは現像してみるまで分かりませんし、フィルム1枚で撮れる枚数は20枚に届きません。ですが、不便でアナログだからこそ生じる不安定なゆらぎが、撮影者ですら想像しえない世界を生み出すかもしれません。そんな不安定でワクワクに満ちた感覚を瑞々しく描く筆致も、注目すべき美点の一つです。

 良い意味で「読者に対して不親切な面」がある漫画ですので、最初は全体像をつかむのが難しく感じるかもしれません。それもまた味わいなのです。初見時の戸惑いと、その先にある静かな興奮を楽しんでみてください。

③『しあわせ鳥見んぐ』:空間を活写する渾身のバードウォッチング漫画

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記事投稿時点で読める話数:1~6話

単行本:未発売(10/27に第1巻発売予定)

 意外に思われるかもしれませんが、4コマ漫画は通常のコマ割りの漫画に引けをとらないほど、空間を描くことに長けた媒体です。例えば、1つのコマはそれ自体が独立した画面であり、極めて細密な描きこみを可能にする余白の塊です。有名な例では『ふおんコネクト』や『まちカドまぞく』が、4コマ漫画のコマの独立性をこれ幸いと、衝撃的な密度の描き込みで情報を詰め込んでいます。

 しかし、空間表現の媒体となるのはコマの「独立性」だけではありません。4コマ漫画には、1つのページの中でコマが整然と上から下に流れていく「連続性」もまた備わっているのです。そして『しあわせ鳥見んぐ』は、4コマの上から下への流れを空間における高低差を描く手段として活用し、バードウォッチング漫画としての説得力を高めています。頭上で優雅に空を舞い、或いは足元でテクテクと歩き回る鳥たちと、それを観測するキャラクターが同じ空間にいる――そんな実感を強く与えてくれるのが、本作の4コマスタイルです。更に、コメディ性豊かなデフォルメとアップの絵でのリアリティを使い分けた鳥の描写そのものも、極めて高いレベルにあります。

 無論、鳥見を通じて繋がっていくキャラクターたちの関係性の表現だって、漫画の技量に負けていません。特に、『きらら』では意外とレアな大学生主人公作品であるためドライブ描写があるのですが、趣味の友達が集まって車で日帰りの旅に出る時のわちゃわちゃした雰囲気の再現ぶりが白眉。昨今の情勢において、郷愁めいた楽しみを味わえます。

 そしてバードウォッチングという題材との向き合い方も真摯です。人が自然に対して負う責任や、動物の命を楽しむうしろめたさを逃げずに描いているのがまずひとつ。加えて鳥を理解する試みとしてのバードウォッチングの在り方や、鳥の側が人間を利用しながら繫栄している意外な側面を紹介することで、読者に新しい視点を与えてくれます。読んだ後は、いつもの帰り道で出会う鳥をつい注視したくなるはずです。

④『妖こそ怪異戸籍課へ』:社会の中で生きる妖怪を描く現代日常伝奇

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記事投稿時点で読める話数:1~5話

単行本:未発売

 妖怪。それは古来より、恐怖と好奇心を等しく誘うおどろおどろしい存在感を醸して人々に語られてきた、異類異形の者たちです。しかし文明の灯が地上を覆いつくした現代日本で、隠れ潜む闇を失った妖怪はどのように暮らしているのでしょうか。『妖こそ怪異戸籍課へ』が描く答えは、ひとつの発明といえます。この物語の世界に生きる妖怪たちは、社会の理解と救済を必要とする無戸籍者なのです。

 タイトルの通り、本作の中核要素は『怪異戸籍課』――現代に生きる妖怪たちを説得して戸籍を取得させ、その後も社会生活を営む手助けをする役所です。この世界では危険性が高いと見なされた妖怪は警察庁の特務機関にマークされることもあり、社会との折り合いは死活問題となっています。とは言えヒトと全く異なる能力や本能を持つ者たちですから、そう簡単に相互理解を図れるわけでもありません。『きらら』漫画において重要な意味合いを持つ「日常」が成立するうえで、前提となるシビアな現実を描いている点が、本作に引き締まった印象を与えているのです。

 他方、世界観の根幹にある過酷さとは裏腹に、各話に登場する妖怪たちはバリエーション豊富かつユーモアに満ちた描かれ方をしています。第一話からド王道・のっぺらぼうを出したかと思えば、ペナンガラン(マレーシアの女怪。臓物をぶら下げた女性の生首の姿をしている)なんて激シブなものを出して幅の広さを予期させます。個人的に唸ったのは、妖怪の総大将のイメージが定着しているぬらりひょんから、「人の家で勝手に飲食をする神出鬼没な妖怪」という要素を拾い上げて、掴みどころがないけど憎めない美少女キャラクターとして仕上げてきたところ。ぬらりひょんの饗子さん、正直めちゃくちゃ好きです。実在の名店に行って食べて帰るだけのスピンオフ待ってますね。

 壮大な世界観と生活感のにじみ出る日常描写のコントラスト、そしてコマいっぱいに広がる細かな描写に仕込まれた長期的なストーリーの伏線――『まちカドまぞく』が開拓した「新きらら系」とでも言うべき気鋭の路線を突っ走る作品です。骨太な楽しさをぜひ。

⑤『ニチアサ以外はやってます!』:映像愛が止まらない特撮研狂想曲

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記事投稿時点で読める話数:1~3話、5話

単行本:未発売

 これはあくまで私の観測範囲の話と前置きしますが、『きらら』読者には妙に特撮好きの人が多いように思えます。ともすれば編集部も感じ取っていたのか、最近ついに「特撮をテーマにした『きらら』漫画」が連載に漕ぎつけました。それこそが『ニチアサ以外はやってます!』です。

 物語の舞台となるのは、とある女子高の特撮研究会。それも既存の作品を見て楽しむだけではなく、ヒーローや怪人のスーツや撮影用のミニチュアを自作し、オリジナル作品の制作を目指す集団です。彼女たちは時に映像や音響へのまっすぐな情熱を滾らせ、時にオタク特有の身内ノリや面倒くさい拘りを燻ぶらせます。うだつが上がらない所まで含めて、ディープかつリアルなオタク性を描きぬく解像度の高さは、『きらら』のサブカル系漫画の中でも随一です。

 本作には「見る人が見ればわかる、様々な特撮作品の小ネタ」が随所に詰め込まれている」一方で、ストーリーや主だったギャグを楽しむうえで、小ネタがわかる必要性が一切ありません。むしろ、特撮を知らない人に対して、特オタが愛する特撮の迫力を漫画で伝えて見せようという気概すら感じられます。現在の追いかけ連載の範囲でも、特撮研究会のOGが作った過去作という設定でヒーローと怪獣のアクションが描かれるくだりがありますが、これがコマをスクリーンに見立てた小粋な計らいと、ワンカットごとを丹念に追いかけるような4コマ漫画に最適化された戦闘の描きぶりが効いていてとにかく凄いのです。

 ともすれば内輪受けを狙った一発ネタになりかねない題材ながら、読み応えは抜群。時代を駆け抜けた『きらら』の未来を創造するのは、この若き傑作かもしれません。

⑥『死神ドットコム』:借金!破滅!狂人!きららの限界を壊す狂獣

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記事投稿時点で読める話数:1~6話

単行本:未発売

 『きらら』といえば、前途有望な少女たちがキラキラした眩い青春を生きる漫画があふれる世界です。しかし『死神ドットコム』はそうではなく、暗い人生のどん底に立つ胡乱な成人女性しか出てきません。

 今回の記事では意図的に、主要な登場人物の設定を羅列するような紹介の仕方は避けているのですが、その禁を解きたくなるほど本作のキャラクターは強烈です。主人公・東京霊は、莫大な借金を抱えながらも酒とギャンブルに溺れ、供給を止められた水道水の代わりに雨水を溜めて飲む度を越したダメOL。190cmに達した身長とギザギザな歯という容貌も相まって、凄まじいインパクトを初手で叩きつけてきます。そんな彼女の魂を回収するために訪れたのが、死神のメルメル。この世界では死神の組織は「死神株式会社」という企業の形態を取っており、ヒラ社員のメルメルは上司からの過酷なパワハラを受けて疲弊の極みにあるのです。ツインテールの幼げな姿から繰り出される地獄のような設定と、人間として終わっている霊への切れ味鋭い暴言もまた強烈! 更に続々と登場してくる霊の知人たちも、犯罪レベルの狂気を抱えた危険人物揃いです。

 『死神ドットコム』という漫画が、『キルミーベイベー』――2012年にアニメ化もされ、カルト的人気を誇る『まんがタイムきららキャラット』連載作品――から、多大な影響を受けていることは疑いようがありません。作者の優しい内臓先生も長らく『キルミー』の二次創作をされていた方です。しかし完全な一話完結体制を取る(そのため主要人物が死んだとしか思えない展開が頻発する)『キルミー』とは異なり、本作は明確な連続ドラマを描きいています。そこに祖先譲りのバイオレンス&ホラー、さらには特有のリアルな世知辛さを盛り込んだ「もう今回で連載終了してしまうんじゃないだろうか」と思うほどの過激な作劇を盛り込むことで、他に類を見ないスピード感を生み出しているのです。

 読めば誰もが「『きらら』系列誌でこんなこと出来るの!?」と目を疑う、ジャンルそのものの限界に牙を立てる狂獣。それが『死神ドットコム』です。解き放たれた獣がどこまで走り抜けるのか、皆さんも観察してみませんか? 

⑦『ぬるめた』:Web出身の異彩コメディ、ニコニコに凱旋

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記事投稿時点で読める話数:1~3、6~10話

単行本:既刊1巻

 『ぬるめた』は極めて数奇な運命をたどった漫画です。かつては『ニコニコ静画』で自主連載されていた同人漫画でしたが、『まんがタイムきららMAX』で商業漫画としてリブートし、そして今『きららベース』の追いかけ連載作品になって故郷への凱旋を果たしました。リブート前後でアンドロイドの少女『くるみ』を中心とした登場人物の顔ぶれは変わっていませんが、設定面では幾つかの変更があり、現時点ではストーリーの繋がりもありません。なお、リブート以前の同人版も以下のリンクから読むことができます。

seiga.nicovideo.jp

  勝手に紹介させていただく立場でこんなことを言うのもナンですが、『ぬるめた』はかなり説明しづらい作品です。骨格としては、特に部活や専門科に属しているわけでもない女子学生グループが日常生活を楽しむ話なので、『Aチャンネル』や『きんいろモザイク』のような、パブリックイメージに近いきらら漫画と言えるかもしれません。そうかと思えば、時にギョッとするような下世話でセンシティブな話や世代を感じさせるオタク会話が飛び出して来たり、そこはかとないSF要素や衒学的な遊びが顔を出します。ほぼ毎話、1ページだけワイド4コマの体裁を取って、多人数が同時並行で話したり動いたりしている「極限までワチャワチャした空間」を描こうとするのも独特です。

 こう書くと、作者が詰め込みたい要素を全部入れてしまったバランスの悪い漫画のように思えるかもしれません。しかし実際に読んでみると、混沌としたムードの中でも大胆なテンションの緩急があり、意外なほど実直な「4コマ漫画の笑い」が楽しめる作品として仕上がっています。また『ぎんしお少々』とは少しベクトルが違いますが、せりふ回しの生っぽい質感という点でも白眉です。『ぎんしお』が話し言葉の臨場感を重視しているとしたら、『ぬるめた』の強みは学生特有のテンションに覆われた集団会話のエミュレート。時々ちょっと気恥ずかしくなるぐらいに「身内のノリ」を表現していて、キャラクターが確かに物語世界という現実を生きている感覚を享受できます。

 確固たる骨格があるからこそ、スパイス的に盛り込まれた眩暈がするほどの諸要素が映える、異彩の秀作コメディ。『きらら』といえば『日常系』の概念と切っても切れない関係にありますが、本作は『日常系』が立つ最新の現在地点と言えるかもしれません。

⑧『紡ぐ乙女と大正の月』:本気の時代考証が魅せる、絢爛の大正きらら

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記事投稿時点で読める話数:1~3、12~14話

単行本:既刊2巻

 現在、私たちは西暦2021年、元号で言えば令和の日常を生きています。今の目線から過去の出来事を振り返るとき、顧みられるのは時代の節目となるようなイベントになりがちです。しかし過ぎ去った過去にも、確かにその時代を「今」として生きていた人たちの日常があったはずです。『紡ぐ乙女と大正の月』は、『きらら』漫画として大正時代の少女たちが過ごした日常に光を当てています。

 『紡ぐ乙女と大正の月』の物語は、現代人の少女が大正10年(西暦1921年)――奇しくも、今日の読者の視点においてちょうど100年前――の日本にタイムスリップし、公爵令嬢に助けられるところから始まります。大正時代について殆ど知識がない主人公を読者と理解度を共有できる視点人物に据えつつ、それを操る作者の時代考証は極めて精細。スイーツを食べながらガールズトークに興じる場所は資生堂パーラーだったり、お風呂シーン一つとっても、大正時代はどうやって身体を洗っていたのかをさらっと教えてくれたり。細やかな所まで「大正時代にこのモノはあったのか」「日常生活の基本的なルーチンを大正時代はどうこなしていたのか」という想像力と綿密な調査が活きています。極端に非現実的な要素は、タイムスリップとキャラの髪色ぐらいしかない、と言ってもいいでしょう。

 一方で、貴族が通う学校における家の爵位の違いから生じる関係性や、当時の女学校で花開いていた女性同士の強い関係性「エス」の文化といった、キャラクター間の繋がりにおいても大正でしか描けないものを巧みに盛り込んでいます。追いかけ連載の最新話時点(単行本でいう2巻分のエピソード)では、その「エス」に絡んで一波乱を起こす新キャラクターが本格登場しており、大正時代を舞台にした百合漫画が読みたい!というニッチながら根強い需要にもしっかり答えてくれる作品です。

 現在、本作の追いかけ連載は単行本2巻範囲に突入しており、1巻分は恒常的に掲載となる1~3話が読める状態になっています。最初の3話を読んで気になったら、とりあえず単行本を1巻ポチってみると効率的に読めますよ。

⑨『瑠東さんには敵いません!』これが百合で見たかった!からかい女子対オタク女子

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記事投稿時点で読める話数:1~6話

単行本:未発売(9/27に第1巻発売予定)

 ある程度確立したジャンルであっても、構成要素をちょっと切り替えると今までにない新味が出る、というのはままあることです。『瑠東さんには敵いません!』の面白いところは、「朴訥で奥手な少年を、快活な少女がからかう中に好意が見え隠れする」という男女のラブコメで人気のある構造を、百合の中に持ち込んだことだと言えます。

いつもクラスの中心で、完ペキ優等生の瑠東かなめ。
クラスの片隅でオタク友達と盛り上がる、地味目女子の和村千紘。
前後の席になった二人は、かなめがちょっかいをかけてきたこときっかけに、不思議な関係が始まります

 上記の作品ページに書かれているこの文章が、そのまま本作の基本設定にあたります。降ってわいたあり得ない関係に狼狽する和村と、彼女を蝶のようにひらひらと翻弄する瑠東さんの、甘酸っぱい距離の詰め合い。かつて知る人ぞ知る傑作『どうして私が美術科に!?』を手掛けた相崎うたう先生の筆力が、二人の攻防戦を鮮やかな情感を込めて描きます。

 しかし『瑠東さんには敵いません!』の面白さは、シチュエーション・ラブコメディとしての完成度の高さだけに留まりません。本作では瑠東さんが和村にちょっかいを出し始めた真意が徹底的に伏せられており、その謎を追いかけるストーリーラインがじりじりと進行していきます。何故こんなことをするのか? どうして和村でなければいけなかったのか? 途方もない重い感情を予期させながらも、まだまだ底を見せない瑠東さんの内心を追いかけるとき、和村も読者もこう思うのです。『瑠東さんには敵いません!』と。

 なお本作は第1巻の発売を9/27に控えています。世に出る寸前の新進気鋭な良作、古参面するなら今ですよ!

⑩『またぞろ。』うまく生きられなくて留年しても、日常に逃げ場はない

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記事投稿時点で読める話数:1~8、10~11話

単行本:既刊1巻

 最後にご紹介する『またぞろ。』は、最初に挙げた『星屑テレパス』と同様、『次にくるマンガ大賞 2021』にノミネートされた作品です。ですが『星屑テレパス』が『きらら』の王道の継承者だとすると、本作は全く新しい地平を切り開く異端の作品に位置付けられます。というのも、この作品のメインキャラクターは主人公を含む4人中3人が高校を留年しているのです。

 本作の主人公は、病気や仕事といった正当な理由もなく、ただ「人間がへたくそ」であるために留年してしまった少女・穂波殊。長期的な計画性を欠き、自己否定と保身から結果的に善良ではあるものの人付き合いは苦手で、物忘れも忘れものも激しい。メンタルクリニックに通院すれば、確実に二回目で何らかの症例を認定されそうな人物です。彼女が背負う極めて真に迫った人間としての欠落は、「自分もこうだ」「あ、こんな人いる」といった、居心地が悪いほどの実感を読者に突き刺していきます。

 「でも『きらら』漫画なのだから、殊ちゃんも人間との関係性の中で救われるんでしょう?」と思われるかもしれません。ですが、今のところそういった気配はありません。留年者と留年予備軍で構成された留年界隈のメンツは、厳然と他人である殊に対して良くも悪くもドライであったり、思いやりを向けながらも具体的な救済を提供できるほどには強くなかったり、といった人たちです。更に昔から彼女のことを気にかけていた幼馴染の存在も、今はむしろ殊を追い詰める呪いに変質しつつあります。友達を交えても劇的な変化はなく、真綿で首を締めていくような日常の中で、それでもサヴァイヴしていくしかない。『またぞろ。』の世界観は、そんな透徹した冷たさと、間違った人間の物語を長い目で見届けるやさしさによって出来ています。

 事件が起きず、毎日がずっと続いていく『日常系』の概念を極限まで悪用し、逃げ場のない人生という戦いを描きぬく気概がここにあります。令和の『きらら』を語るうえで、絶対に外すことのできない歴史的な到達点です。

おわりに:これから『きらら』を愛するあなたのために

 まず、ここまで記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

 今回は「記事を読んだ人に、どれか1作でも刺さってくれればいいな」という想いで10作品を取り上げました。こうして並べてみると、愛読者の自分としても『きらら』作品が持つ芳醇な多様性に驚かされます。「日常系」という枠を自覚しているからこそ、時に傑作の良さを継承し、時に既存の型を破壊することで、進化の系統樹が今も育ち続けているのです。

 もし『きららベース』の追いかけ連載で一つでも気に入る作品があれば、ぜひ単行本の購入や、連載を追い始めることを検討していただけると幸いです。『まんがタイムきらら』系列誌は4コマ専門誌だけで3本あるので「どれに載ってるんだよ!」と思われるかもしれませんが、幸いにも毎月ワンコインを投資すればどれに載っていようと読めます。なぜなら芳文社公式漫画アプリ『COMIC FUZ』で、直近3か月のきらら系列誌の閲覧が含まれた、月額480円のサブスクリプション・プランが実施されているからです。

comic-fuz.com

 え、480円ってめちゃくちゃ安くないですか? 「好きな作品1、2本追いかける目的で契約して、ついでにパラパラめくりながら気になるのを探してみる」という運用にも、余裕で耐えうる価格帯かと思います。

 さて、最後は宣伝になってしまいましたが、『きららベース』追いかけ連載自体は、完全無料で『きらら』の面白さを雑誌読者以外の方にも知っていただける媒体です。繰り返しになりますが、これは愛する作品たちがあまり知られていないことを憂う私たちきらら読者たちが、長年にわたって渇望していたものでした。この機会を活用して一人でも多くの方が「萌え4コマとか『きらら』って全然知らなかったけど、面白いじゃん」と思ってくだされば、いちジャンキーとしても冥利に尽きます。

 それでは、今回はこのあたりで。また次の記事でお会いしましょう。

オススメきらら漫画列伝③『ななどなどなど』:性根の腐った陰キャお嬢様、今日もしぶとく生きてます

・イントロダクション:『きらら』の獣道に足を踏み入れて

 本ブログで主に取り扱う『まんがタイムきらら』系列誌は、美少女を主役やヒロインに据えた4コマ漫画――いわゆる萌え4コマを専門とする漫画雑誌である。キャラクターを主軸にして売り出す以上、必然、萌え4コマの登場人物には良い印象が求められてくるものだ。特に話の中心となる主人公は、読者も友達になりたいと思えたり、見ているだけで気分が明るくなるような好人物であることが望ましい。

 例として、『きらら』系列のアニメ化作品を眺めてみよう。『ひだまりスケッチ』のゆのは優しく純真な少女で、前向きに努力する姿とちょっと抜けた言動がいずれも愛らしい。『きんいろモザイク』の大宮忍は、天然ボケに起因する黒い発言や金髪偏愛の奇癖はあれど、友人の関心を引き場を和ませるタイプのカリスマ性を持っている。『ご注文はうさぎですか?』の保登心愛は、初対面の人とも急激に距離を縮めていく才覚を備え、それでいて意外なほど人間関係の押し引きをわきまえる。『まちカドまぞく』のシャドウミストレス優子に至っては、彼女の優しい交渉力が危機に瀕した町と孤独な少女をいかに救うのか、という重大な命題を背負わされてすらいるのだ。

 このような在り方をこそ、既存の『きらら』における主人公の正道とするなら――今から紹介する少女・玉村小町とその物語『ななどなどなど』は、邪道と言うほかないだろう。

・登場人物:アクが強い少女たちの、睨み合いのような触れ合い

 まずは上記リンクから、『ななどなどなど』第1巻の表紙を見てほしい。 「お嬢様なので学校なんぞ行かなくてもよいのです!」――タイトルと誤認されかねないほどの勢いで宣言する少女、彼女こそが玉村小町だ。

 『きらら』作品の主人公でありながら、小町の性根は腐っている。彼女の中では、裕福な生まれを鼻にかけ庶民を愚弄する傲慢さと、自分の知らないものは何もかも不愉快で危険なものだと思いこむ卑屈な小心が複雑に入り混じる。そんな振る舞いが災いして、初等部の時点で人間関係は完全に破綻。陰キャ姫」というあだ名が定着してしまったこともあり、高校1年の春に至るまで不登校状態に陥ってしまった。彼女のぶっ飛んだ被害妄想が生み出す切れ味鋭いギャグこそが、『ななどなどなど』のファーストインプレッションを強烈にする。

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『ななどなどなど』(著:宇崎うそ)第1巻9ページより

甲斐甲斐しく仕える「ばあや」を相手に逆ギレ。お嬢様で何でも正当化。

本編開幕を告げる最初の4コマからこの始末である。

 だが、長きにわたる引きこもりライフは突如として終わりを迎えた。天才的な頭脳を持つ小町の妹・玉村茶々が、自ら開発に携わった人造人間=ヒューマノイドを、姉の社会復帰のヘルパーとして送り込んだからだ。その名はコード7D-O型、通称ななど。彼女は人工物でありながら快活で好奇心旺盛。多少の誤解はものともせずグイグイ行くコミュニケーションは、まるで『きらら』漫画の主人公のようだ。ストーリー上の主役は小町に譲りながらも、タイトルロールを担っているのは伊達ではない。

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『ななどなどなど』(著:宇崎うそ)第1巻34ページより

生まれたてで常識やプライバシーの概念がないのも相まって、

しばしば悪気なく率直すぎる物言いをしてしまう。彼女は彼女でアクが強いのだ。

  ななどの強引な働きかけで不承不承ながら登校してきた小町は、成り行きから吉岡るるという友達が出来た。……実際に友達かは小町本人も疑問に感じているのだが、少なくともソシャゲのフレンドにはなった。るるはその華やかな容姿に反し、内向的な性格とオタク的な趣味の持ち主、いわゆる「陰キャ」だ。しかし温厚かつ他者を傷つけたくないという意味で臆病な性格で、小町とは一線を画する。ソシャゲ廃課金の悪癖がなければ、真人間の側にいると言っても差し支えない。

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『ななどなどなど』(著:宇崎うそ)第1巻35ページより

お嬢様という天与を振りかざす小町とは異なり、

るるは生まれ持った名前に恥じないようにと意気込む。同じ日陰者でも対照的だ。

 そして小町とるるが知り合ったことで、連鎖的に舞台に上がる人物がいる。高山萌、表の顔は学業優秀かつ世渡り上手な優等生、しかしその実態はるるに片想いするストーカー。盗撮や探偵まがいの身辺調査を息を吸うように実行する危険人物だ。狡猾な彼女は、小町を利用してるるとの距離を自然に縮めることを画策している。おい、これ本当に『きらら』漫画のメインキャラの解説か?

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『ななどなどなど』(著:宇崎うそ)第1巻46ページより

利己的かつ打算的な萌だが、まっとうな倫理観や社会性も持ち合わせている。

その二面性こそが彼女の本質であり、両方の顔が真実だ。

 『ななどなどなど』の物語は、以上の4人を主要人物に据えて展開していく。本作の面白いところは、メインキャラの誰もが一筋縄ではいかない怪人物という点だ。外向的で裏表がない性格のななどですら、「人間一年生のヒューマノイド」であるからには、口を開けばトラブルが起きてしまう。このような環境で醸成される繋がりは、『きらら』作品からイメージされがちな「なんでも分かち合える距離感ぴったりの仲間たち」というよりは、互いに出方を伺って睨み合いながらじりじり進展していく関係になる。

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『ななどなどなど』(著:宇崎うそ)第1巻74ページより

小町は少しずつ変わっていく。でも、一気に成長することなんてできない。

このコマがどういうシチュエーションかはぜひ単行本で確かめてほしい。

・特色:「陰」と「陽」の断絶を冷徹に見つめるリアリズム

 『ななどなどなど』の主要人物4人は、社交性の度合いが大いにばらついていながら、結果的に同じグループを形成することになった。しかし彼女たちの輪から一番近いところにある社会、つまり教室においてはそうではない。明るく社交的な、いわゆる「陽キャ」は同じ属性で固まって華やかな集まりを作っている。

 彼らは「陰キャ」に対置され、ともすれば迫害者としてみなされることもあるが、必ずしも悪意を持っているわけではない、と私は思う。むしろ自然で素朴な感情として落伍者を憐れんだり、互いにじゃれ合いとしてディスりあうのと同じ感覚で他者を腐したりするのではないだろうか。それが主に悪い意味で繊細な「陰キャ」には理解できないのだ。

 このような認識が社会心理学の観点でどれぐらい的を射ているかを、当ブログでは判断できない。だが『ななどなどなど』においては、自分が思い描いているものに近いイメージが、遥かに豊かな質感を伴って描かれているように感じる。

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『ななどなどなど』(著:宇崎うそ)第1巻95ページより

リアルな毒を帯びたモブ描写、メインキャラ間で複雑にズレている現状認識。

『ななどなどなど』という作品の根底を流れる世界観が滲み出た名4コマ。

  本作の1巻後半からは、小町が萌を経由して、或いは学校の授業という不可抗力で「陽キャ」のグループと接点を持つ様子が描かれるようになる。若干のネタバレになってしまうが、現在の連載最新話においても、彼らから小町への印象は劇的に変わってはいない。今なお彼女は「玉村小町」というよりも「陰キャ姫」なのだ。

 陰キャが頑張ったところで、皆から急に一目置かれる、なんてことは起きない。むしろ面白がられるだけかもしれない――透徹した現実感を根幹に宿した上で、人々がわかり合えないなりに折衝する美しさを『ななどなどなど』は描いている。勿論、シニカルな視点も人間愛も、コメディ4コマ漫画に求められる「笑い」でうまく調理した上で。私達が生きる「日常」をシビアに反映した本作を、私は『日常系』と称されるジャンルの最先端にある作品の一つだと捉えている。皆さんにも、このエッジの効いた新しさを体感してみてほしい。

・おわりに:あけすけな宣伝タイム

 さて、ここまで『ななどなどなど』の面白さやスゴさを説明してきたが、実は本作の第2巻は4月末に発売したばかりだ。

 高山萌ならずとも心臓が激しく収縮し「かわいい……」と呻きがもれてしまいそうな吉岡るるの表紙と、相変わらずどの文字がタイトルなのかよく分からないレイアウトが目印だ。まだ2巻しか発売していないので、全巻揃えても2000円せずに最新の物語に追いつく事ができる。

 実はこの『ななどなどなど』という作品、1巻の発売が去年の緊急事態宣言発令と完全に被っていた。そのため書店での売上が芳しく無く、2巻分での終了(まんがタイムきらら読者界隈においてこれを「2巻乙」と呼ぶ。2巻乙しないことは、看板作品となる最低条件)もありえる危機的状況だったのだ。ところが電子書籍での売上が良かったことが考慮され、無事少なくとも3巻分は連載できることになったのだ。

 だが本作が掲載されている『まんがタイムきららMAX』では、過去非常に読者人気が高かった作品が売上の都合で3巻完結になってしまった例が複数件あり、2巻乙を乗り越えたからといって全く安心はできない。幸いにも電子の売上が考慮されることは証明済みなので、この記事を読んで興味を持ってくださった皆さんには、ぜひお好みのプラットフォームで『ななどなどなど』を手にとっていただきたい。

 また、05/02現在、ニコニコ静画内の『きらら』公式ポータル『きららベース』では、なんと本作が1巻の11話分まで無料で公開されている。つまり、1巻をほぼまるごと試し読みできるということだ。そんなんで商売になるのか?とちょっと心配になってしまうが、「それでも買ってもらえる」という自信あっての行いだろうから、お前の心意気を試してやる!ぐらいの気持ちで読んでみよう。

seiga.nicovideo.jp

 ちなみにこの記事を読んで、「あれ?絵柄になんか見覚えあるかも」と思われた方がいるかもしれない。実は作者である宇崎うそ先生は、超濃密な青春群像劇ストーリーと本格志向の音ゲーで絶大な人気を博しているスマートフォン用ゲーム『プロジェクトセカイ   カラフルステージ! feat.初音ミク』の公式4コマ漫画作画を手掛けられている。もしかしたら、そこで絵柄に親しんでいたのではないか。『プロセカ』も非常にいい作品で、特に高校生が日常を全力で生きる姿を愛する『きらら』読者には刺さる部分が多いと考えているので、知らなかった人はこのゴールデンウィークにプレイしてみると幸せになれるかもしれない。

 以上。本記事が一人でも多くの読者と『ななどなどなど』の縁を結ぶ事ができれば、これ以上の幸せはない。

オススメきらら漫画列伝②『エンとゆかり』:4コマは制約にあらず!創意に富んだファンタジー漫画

 ※本記事は『エンとゆかり』第1巻を、「核心に触れない程度のネタバレ」を許容して紹介しています。あらかじめご了承ください。

・「躍動する4コマ漫画」の衝撃

「4コマ漫画はアクションの表現には向いていない」――そんなイメージを抱いている人は多いのではないか。大胆なコマ割りによる激しい動きや、見開きを駆使した大迫力の演出は、4コマ漫画にはできない。「ここぞ」という時に同じ方法を使うことはできても、それはフォーマットを破ってこそ生まれる瞬間的な爆発力にすぎない。既にまんがタイムきらら系列誌購読歴7年になる私でさえも、そう考えていた。

 そんな幻想を気持ちよく打ち砕いてくれた作品が、『エンとゆかり』――9/25に第1巻が発売したばかりの、フレッシュな超新星である。

  早速だけれど、この一連の4コマを見て欲しい。

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『エンとゆかり』(著:しろううらやま) 1巻86ページより

 それは、4コマ漫画というフォーマットだからこそ描けたアクション描写だった。

 1コマ目、枠線を飛び越える勢いで、奥行きのある空間を砲弾のように跳ぶスピード感に始まる。2コマ目、二人の剣士が剣をぶつけ合わせ、冷たい均衡が一瞬流れる。作法に沿って3コマ目へとジグザグに視線を動かすと、読者の目に黒い剣士の姿が連続して映る。このコマでは両者が鍔迫り合いしながら立ち位置を入れ替える瞬間の攻防が切り取られ、上手と下手の交代によるイニシアチブの交換という、映像的な技法さえも込められている。そして4コマ目。カメラが回り込み、巨剣との押し合いに耐えきれず少女が勢いよく吹き飛ばされる様が描かれ、頂点まで高まっていた緊張が爆発する――。

 4コマ漫画は、枠線というスクリーンとその起承転結のテンポによって、連続した短い時間を描くことに長けている……と私は考えている。その性質は基本的にはコメディ向きであり、前後するコマで同じ空間の中の変化を生み出したり、小刻みに「オチ」を作り出すことによって笑いを呼んでいるわけだ。しかし、この構造を生かして、まるで映像のように時間と空間の流れを魅せる戦闘表現が可能だとは、思いもよらなかった。

 もちろん、『エンとゆかり』の引き出しはこの4コマだけではない。作者のしろううらやま先生は、単独名義での商業単行本の発売こそ本作が初めてであるものの、ゆるゆりで名高いなもり先生のアシスタントを長年勤めあげた、いわば影の名人である。その手業はそれぞれのコマの隅々にまで染み渡り、ストーリーテリングやキャラ造形にも発揮されているのだ。なお、なもり先生は本作1巻の帯にメッセージを寄稿しており、『きらら』作品の表紙に一迅社の『百合姫』連載作品の主人公であるはずの赤座あかりが乱入している面白い絵面を楽しめる。

・人物と物語:異世界ファンタジーと『きらら4コマ』の巧みな融合

 『エンとゆかり』の舞台は、原野やダンジョンを魔物が徘徊し、冒険者がクエストを受けて討伐に向かうファンタジーRPG風の世界だ。遠距離通信を可能とする古代技術のアイテム「リンクリング」がチャットのポップアップのようなUIだったり、死んだ魔物がコインを落とす理由が「そもそもコイン状の物体を素材に作られている人工生物だから」だったりと、軽快なパロディがいい具合に柔らかさを生んでいる。

 

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『エンとゆかり』(著:しろううらやま) 1巻25ページより

 本作の主人公として二人でタイトルロールを務めるのが、表紙にも描かれている金髪アホ毛の少女剣士・エンと、冒険者の酒場に務めるウェイトレス・ゆかりだ。ある日、ゆかりは森を散策中に巨大な蛇のような魔物に喰われそうになった。だが、その場に居合わせたエンが大蛇を一刀のもとに斬り伏せたことで、九死に一生を得る。

 二人のうち、主に視点人物として扱われるのはゆかりだ。彼女はエンに救われて以来、小さな頃に父の影響で憧れていたものの、いつしか忘れていた冒険者を再び志すようになる。抜けているようで意外とちゃっかりしていて、時には顔芸として現れるほど感情が豊かなゆかり。エンと並び立つため、仕事をしながら幼い夢を追う様子が微笑ましい。その一方で、死にかけて以来心のどこかで「命の危機において感じるドキドキ」を求め続ける姿には危うさもあり、目が離せない。

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『エンとゆかり』(著:しろううらやま) 1巻15ページより

漫画表現としても、宙に投げ出された二人にコマを跨がせて浮遊感を増す筆致や、2画面に分断された巨大モンスターの亡骸によるレイアウトに注目して欲しい名4コマ。

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『エンとゆかり』(著:しろううらやま) 1巻39ページより

 対するエンは、剣士としては凄まじい強さを誇る一方で、純朴で疑うことを知らない性格の持ち主である。どういうわけか気がつくと記憶喪失で行き倒れていたらしく、冒険者として以外の人との繋がりを持たなかったため、自分を「友達」と言ってくれたゆかりを人懐っこい犬のように慕う。謎を背負った身の上でありながら、自分のことを気にするよりも大切な人を守りたいと願う優しい少女だ。

 そんなエンが属する冒険者パーティのリーダーを務める人物がロッソ。ヨーロッパの貴族か音楽家のカツラのような髪型にちょび髭という胡散臭い装いのおっさんで、事実「器が小さい」「ドケチ」と仲間からも評されている。しかし彼もまた、意外な使命や苦労を抱え、エンのことも薄給で雇いつつ父親代わりのように気にかけてはいるようで――。最初は「何だこいつ」と思われつつ、1巻を読み終える頃には好感度が上がってしまう癖の強いキャラクターが掴んだ人気は、作者にも認知されているとか。

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『エンとゆかり』(著:しろううらやま) 1巻11ページより

 

  彼女たち3人のメインキャラクターに加え、ゆかりを見守る酒場のマスターかなえ、ゆかりの冒険者ワナビーに巻き込まれる友達のちりアメ、そして様々な思惑を抱えた陣営や記事冒頭で挙げたコマでエンと激闘を繰り広げる「鍵の魔物」などが入り乱れ、本作の物語は進行する。

 1巻の中盤からは、ファンタジー世界にはつきものの「魔王」にまつわる陰謀劇が背景で展開され、興味を引く伏線が散りばめられていく。しかしながら物語の根幹にはエンとゆかりが互いを思い合う気持ちがあり、不穏な影の中でも止まることなく「日常」が続いていく――という構造は、アニメ二期の制作が決定した大人気作品『まちカドまぞく』にも通じるものがある。ともすれば、これが今後のファンタジックな要素を多く含む『きらら』作品のスタンダードになっていくのかもしれない。

冒険者パーティの戦い:つながりから生まれる強さ

 『エンとゆかり』には、1巻だけでも幾つかの人間と魔物の対決が描かれている。それらの多くは、もし敗北すれば良くて重傷を負い、悪ければ絶命する本気の生存競争だ。前述の通り、開幕からしてエンが死にかける所から始まるし、中盤は戦闘描写のオンパレードだ。

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『エンとゆかり』(著:しろううらやま) 1巻75ページより

ゆかりの友人二人も、ダンジョンで恐ろしい虫型の魔物と対峙する!

 興味深いのは、1巻の前半における戦闘はほぼエン一人の力で片がついている一方で、後半ではその場に居合わせたメンバーが、それぞれの役割を果たして共闘しなければ勝てないシチュエーションが用意されていることだ。これはエンの強さを序盤で印象づけることで、後に彼女が苦戦する相手の株を上げると共に、『きらら』作品らしい仲間と友情の讃歌のために個人の限界を提示する、無駄のない構成の賜物である。しかも本作はそこに、RPGにおける「パーティ」や「攻略情報」の文脈を重ね合わせることで、世界観の立て付けと精神的なテーマの合一に成功しているのだ。或いは、『エンとゆかり』というタイトル自体が、単なる洒落というだけではなく、本作の根底に流れる冒険者たちの「縁と所縁」を体現しているのかもしれない。考えるほどに、恐ろしい技巧派漫画である。

・総評:4コマの可能性を切り拓く、超絶技巧のニューエイジに愛を!

 『エンとゆかり』の掲載誌『まんがタイムきららMAX』は、ファンの間ではいい意味で「実験場」的だと評価される気風がある。近年ではコミュニケーションに難がある人物の淀みを孕んだ日常を描く『ぼっち・ざ・ろっく!』や『ななどなどなど』、古くはコマ構造を廃して視線誘導だけで4コマ漫画を表現した異端のゲスト作品『グレーゾーン』など、その歴史を彩る作品は枚挙に暇がない。そして『エンとゆかり』も、『きらら』の未来を切り開いた先駆者の輝かしい殿堂に名を連ねるべき快作だ。

 正直に言うと、私は本作がどれぐらい売れてくれるかに不安を感じている。本作は4コマ漫画として物凄いのだが、それ故に発売前の肌感覚では「元から4コマや『きらら』が好きな人」にしか注目されていない印象があったからだ。そして『きらら』作品は一巻の売れ行きが芳しくないと、容赦なく2巻で終わってしまう。ファンの間で俗に「2巻乙」と呼ばれる現象である。

 本作のオーパーツじみた4コマ技法や、精緻に組み上げられた筋書きが埋もれてしまうとしたら、それはあまりにも惜しい。この記事が『きららMAX』を定期購読していない方々に僅かでも『エンとゆかり』の特異な魅力を伝え、「買ってみてもいいかな」という気持ちになってもらえることを切に願う。この作品を読んだあとには、きっと今までよりも4コマ漫画という芸術分野自体を好きになっているはずだ。

今すぐあなたが買うべき『まんがタイムきらら』作品100巻、計7700円

 今年は、日本最古の週刊漫画雑誌『週刊漫画TIMES』や、多くのアニメ化作品を送り出した『まんがタイムきらら』系列誌を擁する芳文社が、創立70周年を迎えるメモリアルイヤーです。今から70年前、1950年といえば、古いお札の代名詞・聖徳太子の1000円札の発行が「開始」した年になります。私(20代です)の両親はまだ生まれておりません。いやはや、時間の重みを感じますね。昭和・平成・そして令和。激動の約3/4世紀を一つの出版社が生き残ってきたことは、盛大に寿ぐに足る偉業でしょう。

 だからといって、935円の単行本が77円になるなんて想像できますか?

Amazon.co.jp: 芳文社キャンペーン(7/16まで): Kindleストア

 現在(7/16まで)、Amazon Kindleをはじめとした各種の電子書籍サービスで、芳文社の70周年を記念したセールが開催されています。対象商品は元々の定価を無視してすべてが税抜き70円、すなわち実売価格77円と化す、古来希なるセールが。

 何もかもが77円となる時、最もお得なのは元々の定価が若干高い『まんがタイムきらら』系列誌の4コマ単行本――まんがタイムKRコミックスです。当該レーベルの定価は税抜850円、つまり税込みで935円です。これは通常のコマ割りのコミックスより高めの価格設定で、特に長期連載作品を購入するときには、心理的な障壁になることもあるかと思います。例えば、『キルミーベイベー』(11巻)を最新巻まで揃えようとすると、10000円を超えてしまいますからね。

 ですが、今なら77×11=847円で揃います。あれ、紙の新品で1巻買うより安くね? そして調子に乗ったあなたがセールの誘惑に駆られるまま、100冊のKRコミックスを買ってしまった時――その出費は、わずか7700円です。もし定価であれば93500円になることを踏まえると、差額で85800円もの利益を得ていると言っても過言ではありません。(尤も今回は非4コマで少し定価が安い『フォワードシリーズ』のタイトルも紹介するので、もう少し小さい差額になりますが)

 さて、本記事は「あまり『きらら』系列誌を読まないが安すぎて興味がある」ないしは「きららアニメは知っているけど原作やそれ以外の連載も知りたい」皆様へのオススメ作品を「100巻分」お伝えするものとなります。迅速さを重視したため、各作品ごとの推薦文や記事の構成は簡略化しています。それでも思い入れと解釈を込めましたので、作品としての価値をお届けするために僅かでもお役に立てれば幸いです。なお、タイトル見出しの先頭が「・」の作品は既刊の一部がセール対象、「☆」の作品は全巻がセール対象となっており、記事内でカウントするのはセール対象巻のみになります。また、同作者の作品の2つ目は項目を作らず、代表作の項目で軽く紹介する形を取っています。ご承知おきいただいたところで、本題に入りましょう。

【アニメ化作品編】

・『ひだまりスケッチ』1~9巻(9/100)

 『きらら』系列誌で初めてアニメ化された、記念碑的な名作です。美術科を擁するやまぶき高校と、その門前に立つ女子専用のアパート・ひだまり荘を舞台に、少女たちの一人じゃない一人暮らしが描かれます。美術知識の描写や、芸術家として生きていく難しさのリアリティで抑揚をつけつつ、気長で温かい視点から「生活」を活写する本作は、今なお『きらら』の頂点のひとつを占め、後世の作品に影響を与え続けています。今回のセールでは最新10巻のみが対象から漏れていますが、今なら全巻買っても2000円しないので、9巻まで読んで気に入ったならぜひ買ってしまいましょう。

☆『キルミーベイベー』1~11巻(20/100)

  『ひだまりスケッチ』が『きらら』の王道を定義した作品だとすれば、『キルミーベイベー』はその逆、つまり邪道とか冥府魔道を征く作品です。死亡オチや大量出血上等の破壊的な笑いを絵柄で強引に押し通し、レギュラーキャラクター2名と準レギュラー1名のみを基本線に据えたギャグ漫画としての強固な構造からは、一切の無駄が削ぎ落とされています。その有り様は一見して、パブリックイメージ的な『きらら』から大きく逸脱しているのですが、度を越して愚かで調子に乗りやすい少女・やすなと、彼女のウザ絡みを頻繁に暴力で制裁しながらも嫌いになりきれない殺し屋・ソーニャの関係性を穿って見ることもできる、見かけ以上に芳醇な作品です。

 本作にストーリー的な連続性は皆無で、「続きが気になって続刊を買ってしまう」作品と思う人はあまり居ないでしょう。だからこそ今一気に買うのがオススメ――という心理が働いたかはわかりませんが、Amazonで一番売れてる漫画らしいです。ここまで市場を制圧すると、もはや共通言語。読むっきゃない!

☆『GA 芸術科アートデザインクラス』1~7巻(27/100)

 作家さんに芸術系の専門学校・高校・美大を卒業された方が多く、また偉大な『ひだまり』の威光があるためか、『きらら』において美術・絵画ものは一つのジャンルとして成立しています。その中でも、『GA 芸術科アートデザインクラス』は、知識面のディティールの濃さや芸術家としての情熱の表現に強みを持つ、特に一本気な漫画です。

 ほぼ毎回、丁寧でわかりやすい「解説」的な描写が挿入され、各登場人物にはかなり詳細に志向する芸術性や得意・不得意分野が設定されています。加えて、メインキャラクター5人とは距離感が離れた並行グループであり、より切実な将来像や専門的な方向性を持つ「美術部」の存在が、作品世界に広い奥行きを与えているのです。静かだけど熱量が高い青春マンガ、という独特で濃厚な読書感を堪能してください。

 なお今回のセールでは、同作者の『棺担ぎのクロ』も全7巻中の1~6巻+外伝1巻が割引対象となっています。『GA』とは打って変わって、寓話じみた陰鬱かつ奇妙な世界観で謎の旅人クロの足跡を追うダークファンタジーとなっており、『きらら』の領域を大きく広げた異端の名作です。こちらもぜひお買い求めください。

☆『うらら迷路帖』1~7巻(34/100)

 昨年アニメが放送された『まちカドまぞく』(残念ながら今回のセールでは全巻対象外です。でも最高の作品なので買いましょう)でだいぶ周知されましたが、『きらら』にはファンタジー色の強い作品も少なからず存在します。賑やかさの中にほの暗さを秘めた良質な和風幻想譚として完成した『うらら迷路帖』は、それらの代表と言える一作です。

 舞台は、失せ物探しや未来の予見を生業とする女性占い師「うらら」が集住する町、迷路町。うららになってこの町のどこかにいるという母を探すため、物理的に裸一貫の野生児・千矢がやってくるところから物語が始まります。千矢は文明社会の常識や都市のしきたりと苦闘しながらも、寝食を共にする仲間たちと共に過酷な試験を乗り越え、少しずつうららの階梯を登っていく千矢たち。しかし、迷路町には解き明かしてはいけない秘密も潜んでいて――。少年漫画ライクな王道の努力と友情と勝利の物語を、きらら的なフォーマットに落とし込み、話の後半になるほど、底知れない恐れや避けられない運命との対決が作家性として染み出してくる秀作です。

 加えて、今回のセールでは同作者の前作『夜森の国のソラニ』も全巻が割引対象となっています。『うらら迷路帖』よりも剥き出しの夢幻的でさみしい世界観が押し出されており、はりかも先生の物語る息遣いをより直に感じ取ることができるはずです。

・『ステラのまほう』1~5巻(39/100)

 「部活もの」は、『きらら』作品における主要な骨組みの一つです。このような作品は、概ね取材や経験に基づく専門的な要素と、少女たちの日常生活を両輪として物語を牽引しますが――『ステラのまほう』はそのどちらにおいても、一味違うシビアでスパイシーな語り口が楽しめるものとなっています。

 本作は同人ゲームを開発する部活「SNS部」(んだ魚の目照不足ャトルラン部)の部員と、彼女たちを取り巻く人々の物語ですが、登場人物に非常に癖が強いです。書誌情報には「ちょっと癖のある部員」と書かれていますが、嘘です。そしてその多くが、「激務に駆られる片親の家庭で育った」「ちょっとイタい、中二病的な創作活動をしていた」「自己実現の創作と部活での共同作業の間に矛盾を抱える先輩」「高校時代の部活動にしか自分の居場所を見つけられず先に進めないOG」「ネグレクトを受け、ネットに承認欲求をぶつける」といった、かわいいだけで済まされない生臭い質感を持った少女たちです。そこに「商業ではなく、義務もないけれど、本気」という同人創作の独特な心境や進学校に特有の空気感が合わさり、独特の刺激的な味わいを高めています。個人的にはそれが非常に好きな一方で、人を選ぶ作品なのも間違いありません。大変都合がいいことに、今回のセールでは5巻までという絶妙な範囲が対象となっています。取り敢えず読んでみて、さらなる深淵を覗き込みたくなったあなたは腹を決めて(定価で)踏み出しましょう。

 ☆『あんハピ♪』1~10巻(49/100)

あんハピ♪ 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

あんハピ♪ 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

  • 作者:琴慈
  • 発売日: 2015/07/13
  • メディア: Kindle
 

  現存する『きらら』系列誌には『まんがタイムきらら』『まんがタイムきららキャラット』『まんがタイムきららMAX』の4コマ3誌に加え、非4コマ作品を掲載する『まんがタイムきららフォワード』があります。少女の生活にクローズアップし、高いキャラクターコンテンツ性を持つ『きらら』のエッセンスを保持しながら、挑戦を続ける雑誌です。『あんハピ♪』も、そんな『フォワード』から生まれた作品です。

 本作を短く説明するならば、洒落にならない不幸体質や特殊な性情を背負った少女たちの、前向きな受容と超克の物語、といったところでしょうか。なんと言っても特徴的なのは、主人公である「はなこ」こと花小泉杏の在り方です。彼女は一歩間違えれば死亡するような事故や、時間のかかる厄介なトラブルに頻繁に巻き込まれる異常不運体質者です。しかし、そんな中で無事生還したことや、遠回りの末に得た小さな報酬を指して、「私はすっごくついてるよ!」と迷いなく断言します。その呑気とも取れる態度は時に反感を買いますが、やがて絶対にブレることのない信念が、「天之御船学園幸福クラス」に集められた難儀な事情を持つ少女たちを鼓舞していきます。そして各々の事情や、特別授業として課される理不尽な課題すら、彼女たち自身の力で真正面から受け止めてコメディとして昇華するのです。最初は精緻な絵柄と裏腹に独特なノリに面食らうかもしれませんが、気がつくと応援し、向き合う自分も応援されてしまっている、はなこ自身のような作品です。ヒーローに何より心の強さを求めるあなたに。

 本作が気に入ったなら同作者の『精霊さまの難儀な日常』もオススメです。こちらは4コマ漫画で、既刊2巻中1巻がセール中になります。四大元素の精霊と人間の少女の交流を、「もし精霊の力が本当にあったら何ができるか」という思考実験的な手付きで楽しく魅せる手腕には、風格すら漂います。

 ・『ゆゆ式』1~7巻(56/100)

ゆゆ式 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

ゆゆ式 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

 

 『きらら』というレーベル全体を貫く魅力の一つに、4コマ漫画のミニマルな繰り返しのテンポに乗った、少女たちの他愛もない会話劇があります。そして『ゆゆ式』こそが、女の子が会話するだけの話を極限まで研ぎ澄ました漫画です。

 「情報処理部」を主役に据えた「部活もの」――と見せかけて、『ゆゆ式』があなたにパソコンの上手な使い方を教えてくれるということはありません。描かれる活動は「放課後に部室に集まり、検索エンジンで調べた内容をホワイトボードにまとめながら駄弁る」というユルいものです。それでいて登場する知識も複雑で大それたものや体系的な学問ではなく、完全に雑学の類になります。故に、各回の「お題」を肴に喋る少女たちの、交わす言葉そのものが主題として立ち現れて来るのです。本作の特に白眉な点として、「口語で会話する」様子のシミュレーションが異常に巧みな点が挙げられます。読者にとってわかりやすいか、というメタ的な事情は無視し、舞台の上だけで完結していて全容は想像するしかない会話や、連想ゲーム同然の不親切なやり取りが平然と繰り広げられます。また時折挟まれる下世話な言動や、部外の人物を巻き込んだ各キャラ間の微妙な距離感の差も、本作に流れるリアリズムを効果的に高めています。その構造はさながら、少女の対話と関係性を観察させる行動展示。「美少女動物園」なんていう個人的には嫌いな言葉がありますが、『ゆゆ式』には、本当の意味での「動物園」じみた工夫が満ちているのです。

☆『幸腹グラフィティ』1~7巻(63/100)

 人と人の温かいつながりを描く『きらら』において、「食」にクローズアップした作品が生まれ、アニメ化されるのは必然だったのかもしれません。『幸腹グラフィティ』は、日常において互いの生活を分かち合う行為としての食に注目した、グルメ漫画……否、食事漫画です。

 本作における食事の描写は画力が高いので美味しそうですし、実際に客観的に美味しい・上等である、と判断できる料理が登場することもあります。一方で、本当に重要視されている要素は「食卓」という空間そのものです。様々な事情から親元を離れて暮らす少女たちが、広いとは言えない部屋で視線を突き合わせ、肩を寄せ合い、食事の時間を分かち合う。その温かさに癒やされていく、個々人が抱える孤独や心の傷こそが、『幸腹グラフィティ』の本領なのです。官能的でともすれば「やり過ぎ」にも見える食事のリアクション描写も、親密さや生命の場としての食事を前へと押し出していく手段の一つと捉えることができます。『きらら』だからこそ描けた、人と人の間にあるものを炙り出す「食」の物語がここにあります。

 今回のセールでは、同作者の『甘えたい日はそばにいて』全3巻も割引対象となっています。最近の『きらら』では少数派になった男女恋愛をメインにした話ですが、ヒロインは人間に恋することを禁じられたアンドロイドということもあり、ラブコメ的な雰囲気とは一線を画しています。SF的な要素の処理が若干ぶん投げ気味であることに意見が分かれるかと思いますが、心情の表現力は流石、といったところです。

・『こみっくがーるず』1~3巻(66/100)

 高校生にして少女漫画誌に連載を持った経験で知られるはんざわかおり先生が、かつての自分と同じ「高校生まんが家」たちの奮闘を描く『こみっくがーるず』は、お仕事ものと学園青春ものの良さを兼ね備えた逸品です。

 本作の主人公、かおす先生こと萌田薫子は(ここははんざわかおり先生と違うところですが)ハッキリ言ってまんが家としてやっていくにはあまりに絵が下手で、構成力にも難があります。同じ寮で暮らす少女漫画家の恋塚小夢・少年漫画家の勝木翼・TL漫画家(いわゆる僧侶枠みたいなやつです)の色川琉姫がいずれもそれぞれの連載を持って活躍している影で、かおす先生はダメ出しをされてばかりです。しかし彼女には「常にネガティブな一方で、何を言われようと根本が折れない」という唯一にして最大の才能があります。先を走る仲間たちにも可愛がられ、勇気を与えられながら、とてもゆっくりとしたペースで、しかし着実に彼女は成長していきます。その一方で、成功している他の3人にも、それぞれが真剣にまんが家であろうとするがゆえの苦悩があり、互いの絆を通じて必死に乗り越えていくのです。お仕事漫画としては過酷でハードコア、だけれど青春漫画としては繊細で優しい。その顕著なメリハリが、本作の面白さの秘訣です。

 ・『スロウスタート』1~4巻(70/100)

 『スロウスタート』は、ストーリーの経糸を非常に重視している4コマ漫画です。そういう意味では『うらら迷路帖』や『棺担ぎのクロ』に近いとも言えるのですが、これら2つと違って舞台は完全に現代の日本ですし、人の生き死にが左右されるような事件も起こりません。ただ、個人の抱え込んだ秘密や手探りのコミュニケーションを丹念に描くという一点で、本作は「物語」を成立させています。

 この春から高校生になった一之瀬花名には、クラスメイトにひた隠しにしている秘密があります。それは、おたふく風邪によって一度目の高校受験を受けられず浪人し、周りより一歳年上だということ。入学直後、社交性抜群の十倉栄依子を中心軸として、その幼馴染である寡黙なちびっこ千石冠や、オタク少女の百地たまてが花名の友人となりました。元よりそこまで社交的なタイプではない「スロウスターター」の彼女は、秘密を堅持したまま日々を過ごしていきます。ですが友達と仲が深まるほど、その心は嘘をつく罪悪感と、真実を明かし関係が壊れる可能性への恐怖で板挟みになるのです。

 本作の作風はコメディタッチで全体としては明るいのですが、花名をはじめ、多くの登場人物が「口にしない言葉」を胸に抱えて生きています。それは時に幼馴染への想いだったり、教師と生徒の危険な恋の鞘当てだったり、高校時代の友人に合わせる顔がない大学浪人の焦燥(花名を含め、本作には3人の「浪人」が登場します)であったりします。それが哀切なモノローグで語られる時、この漫画の詩情は爆発します。加えて、コマを分割可能なスクリーンや物理的に干渉できる窓枠に見立てた、アクロバティックな4コマ表現も見どころの一つです。「百合漫画」的な文法を強く意識した作品なので、普段はそちらの畑という人にもオススメといえます。

【非・アニメ化作品編】

☆『どうして私が美術科に!?』1~3巻(73/100)

 『どうして私が美術科に!?』は、物語とディティールの総合力でアニメ化タイトルにも引けを取らない美術系漫画であり、今なお非常に強い感情を持っている読者が多い名作です。その最大の魅力は、少女たちの割り切れない二面性と人生の選択というテーマを、3巻での完結ながら真摯に描き抜いている点にあります。

 「願書を間違えて美術科に入ってしまった」主人公・酒井桃音を筆頭に、本作の登場人物は、どこかしら「過ちや理想との落差でもがいている」部分を持っています。そして性格面でも、お互いを思い合う優しさはあれど、一筋縄ではいかないわだかまりを抱えているのです。一見して利己的に振る舞いながらも、実は自分を見てくれない親を喜ばせるために美術科に入った者。漫画家を志しながら、心のどこかで遠すぎる夢を見ているという自覚と諦観を持つ者。幼馴染との間に、埋まらない才能の差を感じて歯噛みする者。自由人を気取りながらも、根底に友との距離に対する不安を隠し持つ者。世界にとってはちっぽけな、けれども彼女たちによっては自分のセカイに突き刺さった楔のような息苦しさと、本作は時に過酷なほど深く向き合います。それ故に読者は、彼女たちの「人生」の実在を感じて「3巻の先」を見据え、『どうびじゅ』にいつまでも狂い続けることになるのかもしれません。

☆『がんくつ荘の不夜城さん』1~3巻(76/100)

 『こみっくがーるず』が青春の輝き弾ける光のまんが家漫画だとすれば、『がんくつ荘の不夜城さん』は日陰からのそのそと立ち上がる闇のまんが家漫画です。なにせ自身も当初連載されていた『まんがタイムきららミラク』の休刊や、作者の前作の「2巻乙」(アニメ化されないきらら作品の大半は2巻で完結する、ということを示す読者界隈のスラング)をネタにするという豪速球を投げてきます。

 自堕落でコミュ障、髪は伸び放題で服装もだらしない、前回入浴した日を覚えておらず、おまけに隣に引っ越してきたばかりの女子高生に世話される漫画家・不夜城よどみ。今は『まんがタイムきらり』なる雑誌で連載を持っていますが、客観的に見て大人気の作家というわけではありません。そのライフスタイルの描写は、作者の性癖がむわんとまろび出るコマの点在も相まって、特有な「生臭さ」とも言える質感を醸し出しています。締め切りに追われ、ギリギリで日々を生きながらも、創作者としての矜持を時折覗かせる中堅『きらり』漫画家の姿には、作者の自叙伝的な側面が含まれていることは言うまでもありません。『きらら』そのものをメタ的に観察し、巧みに物語へと仕上げた本作を読めば、初心者の方も楽しみながら雑誌読者の温度感を捉えることができるかと思います。

 なお今回のセールでは、同作者の『私がヒロインじゃない理由』および『やさしい新説死霊術』も、全巻がセール対象に含まれています。不夜城さんが以前に二作の連載を経験しているという設定は、これらの経歴を踏まえているのですね。特に『やさしい新説死霊術』は、手堅く纏まったハイファンタジー百合漫画でオススメです。

☆『はんどすたんど!』1~3巻(79/100)

 『はんどすたんど!』は、器械体操を題材にした部活もの4コマです。困難な態勢を保つ力が求められる題材だけあって(?)安定したシナリオとシュールな笑いのバランス感覚が異常に良い作品に仕上がっています。

 『きらら』の部活漫画として見た時、『はんどすたんど!』の構成やキャラクターの配置は極めて堅実です。経験者一名の状態で今までなかった体操部を立ち上げ、小さくとも着実なステップを踏んで、市民体育大会というクライマックスを迎えます。超人や天才の類は登場せず、地に足のついた共感しやすい部活ものを構築することで、読者層の大半には実体が知られていない競技を魅力的に描出しているのです。

 その一方で、『きらら』のギャグ漫画としても本作は秀でています。一巻表紙の目が据わった笑顔からほとんど表情が動かず、一昔前のコメディ洋画の吹き替えを思わせる軽妙な口調の怪人物・新城ななみを中心に、絶え間なく繰り出されるじわじわ響くオチ。「いい話」風になったかと思うと4コマ目でがっくり落とし、本当に決めの場面を除けば、笑いのテンポを殺さずノンストップで駆け抜けます。抱腹絶倒しながら読み進めていくうちに、技巧を高めていこうと切磋琢磨する真剣な横顔にも心動かされる、なんとも欲張りな漫画です。

 ☆『ビビッド・モンスターズ・クロニクル』1~4巻(83/100)

 ゲームをゲームとして楽しむ気持ちを大事にした、「やりたくなるオンラインゲーム漫画」であることが、『ビビッド・モンスターズ・クロニクルの美質です。

 本作はオンラインゲームを題材にした作品でしばしばギミックとなる、クラン間の激しい競争や、現実にまで影響を及ぼすデスゲームの要素は含まれていません。その代わりに作中作ゲームのシステム面や、多人数で協力して遊ぶ原体験的な楽しさを、『きらら』的な少女たちのゆるやかな成長物語に乗せて掘り下げています。また話のスパイスとして、「オンラインのゲーム仲間と意外と近い生活圏内にいたり、現実でも友人となったりするのに、真実を知らないまますれ違う」要素が組み入れられ、その面でもくすりと笑わせてくれる、陽性の佳作です。

 ☆『広がる地図とホウキ星』1~2巻(85/100)

 近代的、しかし現代的ではない絶妙なレトロさで構築された駅のホームに、佇む魔女姿の少女。表紙のイラスト一枚から既にワクワクを掻き立てる世界観を押し出した本作は、冒険し、未知を探る面白さを軽快に描く映像的ファンタジー4コマです。

 本作は魔法学校の生徒たちを主役に据えてはいるのですが、不思議な学校生活や勉強の風景より、むしろ実地での冒険や旅情を重視して描かれている点に独自色があります。各地の街に繰り出してその空気を肌で感じ、情報を足で稼ぐ。遺跡や奇妙な自然や魔法を使った競技に挑み、理詰めの思考と個々人の特技を生かして難題を打開する。そんな、例えるならテーブルトークRPGのシナリオをみんなで攻略するような空気感に、4コマ漫画のコマをスクリーンに見立て、「カット」の連続性や空間の広がりを強く意識した表現技法が、無類の臨場感を与えているのです。「4コマ漫画の構造は単なる制約ではなく、フォーマットの特性を活かすことで非常に動的な表現もできる」という事実を雄弁に物語る本作は、『きらら』の奥深さを知る上でぜひ読んでいただきたい作品の一つです。

 ☆『JKすぷらっしゅ!』1~2巻(87/100)

 『JKすぷらっしゅ!』の舞台は、なぜか制服として水着を着用することが義務付けられた高校です。ああ、逃げないでください。狂気的なルックスから、想定外の鋭さで「性」と「愛」に切り込む妥協なしの百合こそが、最大の武器なのですから。

 一見として出落ちとしか思えない設定が冒頭から提示される本作ですが、「ほぼ全話水着回」であることを、「身体の触れ合いを描きやすい」という点で上手に活用しています。女性キャラクター間の恋愛感情を明言するだけではなく、その中に含まれる肉体への欲求、有り体に言えば性欲を、愛情との曖昧な境界で重なり合うものとして丁寧に取り扱っているのです。「百合」を標榜する作品の中でさえしばしば透明化されうるものを、『きらら』において果敢に描き抜くための文字通り背水の決意こそが、制服を水着にするということなのです。――もちろん、多分に作者の性癖(通りのいい誤用)的な部分も含まれていて、そこもまた本作の魅力なのですが。「きららの百合って正直幻覚だよな」ぐらいのことを考えている人がもし身の回りにいたり、あなたがそうだったら、この本気と真剣に向き合わせてください。

 ☆『ミソニノミコト』1~2巻(89/100)

 『ミソニノミコト』――名前のとおり「鯖の味噌煮」を司る胡乱な架空の神性を語り部に据えた、八百万の神々の概念で遊びながら、日本人のテキトーな信心を温かく描く神道4コマです。

 多くの日本人にとって、「特に生活に根ざしているわけではないが、初詣とかには行く」「仏寺の檀家だったり一族の墓所は寺にあったりするが、それはそれとして神社もなんとなく詣でる」ぐらいの、不思議な距離感にいる神道とその神様たち。本作では「史書に名前が出てこないような泡沫神」ミソニの目線を通して、有名な神様や神棚・御朱印といった知ってるようで知らないアイテムについて解説しつつ、時に人と神が存在する時間の差を素朴な情感豊かに描きます。常に心の中にいるわけではないけれど、ハレの日や一世一代の大勝負には頼られる、目には見えないけれど、常に側にいる――そんなよくよく考えると奇妙な信仰を、この物語の神様たちは自分の存在を保つよすがとして、とても大事にしています。その日常に根ざした優しさは間違いなく『きらら』の良き土壌に咲いたものであり、心地よい読後感に浸りながら、歴史で遊ぶ伝奇的なエッセンスの味わいも感じられる素敵な一作です。

 ☆『ふおんコネクト』1~4巻(93/100)

 しばしば「背景で手抜きができる」ようなイメージを持たれていますが、実は4コマ漫画は画面内に占めるコマの面積が広く、実際は常軌を逸した量の描き込みを行うことができます。それを実現した『ふおんコネクト』の魅力はなんといっても、溢れんばかりの情報量と、生き生きと動くキャラクターの質感が乱舞するところでしょう。

 コマを埋め尽くすような描き込みと、これでもかと詰め込まれたサブカルや特撮番組のネタ(そもそも「ざら」というペンネームは『ウルトラマン』に登場するザラブ星人に由来しているそうです)。ともすれば雑然として評価に困る作品になりかねないところを、本作は登場人物の作り込まれた人間性によって一本筋を通しています。話の本筋と関係ないところでも常に誰かが動いており、そこに彼女たちの個性から導き出された明確な「意図」があるのです。また、かなり入り組んだ家庭環境の設定も、彼女たちが互いに関わり合う際の質感を噛みごたえのあるものにしています。個人的には「4コマ漫画を読むのにだいぶ慣れてきた」というタイミングで、高難易度クエストを腰を据えて攻略するような感覚で読んで欲しい異形の名作です。

 また同作者の『しかくいシカク』と『ふたりでひとりぐらし、』も、全巻が今回のセールで対象に含まれています。過激なまでの情報量でぶん殴る作風は一貫していますが、『ふたりでひとりぐらし、』は最も最近の作品で、比較的マイルドな食味なのでざら先生入門にオススメです。

 ☆『ふじょ子とユリ子』1~2巻(95/100)

 私はこの作品の1巻と2巻の表紙が映し出す対比があまりに好きで、敢えてここだけ両方の販売ページへのリンクを載せました。読んでいただければ、私の想いもご理解いただけるものと信じております。

 これは私のカップリングにおける持論なのですが、幼馴染同士のカプほど、恋人同士としてくっつくまでの過程が難しいんですよね。彼女たちはなまじ小さな頃から共有してきた時間が長く、関係が強固に成立しているからこそ、友情という繋がり方を内面化しすぎていたり、今の距離感が出すぎた真似で崩壊することを恐れがちなものです。おまけに二人の状態が「恋愛としては片思い」だった場合、事態は更に厄介なものとなります。

 『ふじょ子とユリ子』は、今まさに私が例示したような状況を、全2巻のすべてをかけて解きほぐすこそばゆい恋愛漫画です。そこに、「ユリ子が好きになる同性の幼馴染・ふじょ子がBL愛好家」という基礎設定で捻りを加えています。ふじょ子はBL愛好家と言っても、勘所をわかっていなくても見れば分かるような王道カプではなく、原作での接点が希薄なマイナーカプの愛好家です。しかも、長年ユリ子に対しても自分の趣味を隠していました。供給に飢え、先鋭化した奇矯な信仰を持つふじょ子や、次々と現れる同人界隈の奇人(しかも学校が同じ)に困惑しながらも、ユリ子は親友の言葉に耳を傾けます。それは完全に下心に基づく行為ですが、それでも二人が僅かずつお互いを理解し直していく契機となっていくのです。その繊細な歩みは、幼馴染カプ大好きマンの私が太鼓判を押す美しさ。作中でふじょ子が推している「亀ピエ」と違って、「ふじょユリ」は極太の根拠を持つ絶対的王道カプなので、安堵して心を委ねてください。

 ☆『ぽんこつヒーローアイリーン』1~2巻(97/100)

 昨年TVアニメが放送され大人気を博した『きらら』の大傑作、『まちカドまぞく』は、人の孤独に寄り添い平和を守る「ヒーローもの」の文脈を内包した作品です。そして私が同じ「きらら×ヒーロー」の作品としてオススメするのが、英雄たろうとする心の尊さにパンチの効いた笑いを織り交ぜて描くぽんこつヒーローアイリーン』です。

 タイトルで「ぽんこつヒーロー」と言われてしまっているアイリーンは、火星で活躍していた本物のスーパーヒーロー。ですがヒーローとしての行動規範は「敵を倒すこと」の一点張り、しかもパンを食べながら決戦に遅刻して大事故を起こすと、かなりいい加減です。それ故に具体的な帰還方法を告げられないまま、ヒーローとしての自分を見つめ直すための(説明がないので主観的には左遷同然な)地球出張を命じられてしまいます。そんな彼女が地球で出会ったのは、正義のヒーロー・ラブリーメロン。正体はコスプレをして勝手に慈善活動を行う、何の特殊能力も持たない高卒の無職なのですが、アイリーンは彼女を本物のヒーローと勘違いし、弟子のようなライバルのような名状しがたい関係を結んでいくのでした。

 かたや荒っぽい思考回路を持つ、ヒーロー失格の問題児。かたや優しい心を持ちながらも、社会からドロップアウトした不審者。本作では二人のダメな部分を容赦なくギャグとして消費しながら、物語の端々でヒーローとしての在り方を問います。力と心、ある意味凸凹、ある意味割れ鍋に綴じ蓋なアイリーンとラブリーメロンのご町内騒動はやがて、それぞれの人間としての試練に向き合う力となっていくのです。そつなく完成度の高い作品ですが、特に互いに補い合うバディものが好きなあなたにぜひ。

・『スローループ』1巻(98/100)

 

 『きらら』の非4コマ誌『きららフォワード』において、今最もホットな若手連載作品が『スローループ』です。フライフィッシング(欧風の毛針釣り。かなり詳しく説明されていますので、本作を読んでいただくことで詳説の代わりとします)を題材とした本作は、釣り糸で再婚姉妹の繋がりを結ぶ、家族再生の物語です。

 『スローループ』のダブル主人公といえる中性的な雰囲気の少女・ひよりと元気印の少女・小春は、それぞれ父・母を亡くしています。物語の最初に何も知らない状態で出会った直後、存命の片親同士が再婚したことで、二人は戸籍上「姉妹」となるのですが、すぐに心まで家族になれるわけではありません。そもそも姉妹と言っても同い年ですし、内向的なひよりは相手とどう付き合って良いのかわからず、逆に無邪気な小春は踏み込みすぎる――そんな噛み合わない二人が、ひよりの趣味である釣りの経験を共有する中で、緩慢に結ばれていく様が叙情性豊かに描かれます。加えてひよりの幼馴染である吉永恋も良い味を出しており、一種の「三角関係」としても楽しめる側面もあるかもしれません。釣りの描写も本格的で、今後アニメ化されることがあればオタクを外に引っ張り出す魔力を発揮してくれるのに期待大です。割引されているのは既刊3巻中1巻のみですが、続きを定価で買っても後悔はさせませんよ。

 なお、同作者の『ななつ神オンリー!』全1巻も今回はセール中です。七福神が信心稼ぎのためアイドルになる、という突飛な設定をきれいに纏めており、掲載誌『きららミラク』の休刊と運命をともにしたのが残念でなりません。

 ☆『旅する海とアトリエ』1巻(99/100)

 『旅する海とアトリエ』は、まだ一巻しか発売されていない若い作品です。しかし出会いと別れを繰り返して綴られる、壮大な大陸紀行を描くストーリーテリングの巧みさと圧倒的な画力には、円熟味すら感じることができます。

 本作はロードムービー型の漫画で、自分の名前のルーツを探し求める和装女子・七瀬海と、自分が進む道に悩みながらも気丈に振る舞う若き画家・安藤りえが、ヨーロッパの各地を旅しながらゲストキャラクターと交流する基本構造を持っています。その中で描かれる荘厳な聖堂や鮮やかな町並みの克明な描写は、本作の大きな魅力の一つです。細部までこだわって非常にリアルに表現されると共に、キャラクターや4コマ枠との対比で巨大感を際立たせたそれらの景観は、リエや各話のゲストキャラクターが背負っている世界の質量ともリンクします。自己の起源や創作者としての生き方といった重厚なテーマを取り扱いつつ、海の底抜けにひたむきな性格と、どこかカートゥーンを思わせるキャラ絵の「くずし」で的確に生み出される笑いは、重さ一辺倒ではない軽快さを生み出す良いアクセントです。総じて非常に技量が高い作品であり、現時点で既刊一巻ですので、『きらら』漫画自体への足がかりとしてもオススメできます。

・『ぼっち・ざ・ろっく!』1巻(100/100)

  『ぼっち・ざ・ろっく!』は、既に2巻の突破を確定させ(2巻で終わらないことは、『きらら』でエースとなる最低条件です)メディアミックスの予定は未定ながらLINEスタンプも発売されるなど「既に熱い」作品です。美少女の顔がおぞましく溶けるコマや、真に迫った陰キャ描写のキャプ画像が話題になった本作ですが、決してインパクトだけの一発ネタ漫画ではありません。自分の土俵で意地を貫き世界すらも変える正真正銘の「ロック」を骨太に描いた、稀代の音楽4コマ漫画です。

 顔を隠して演奏動画を投稿し、ネットで人気を博す凄腕のギタリスト「ギターヒーロー」。その正体は、バンド結成を夢見ながら、極度に人付き合いに臆病なために叶わなかった少女・後藤ひとり。彼女は強い承認欲求と、現実への恐怖や明るく幸せな人物へのルサンチマンを兼ね備えた、貪欲ながら極端に内向きな性格の持ち主です。そんな彼女ですが、偶然に加わったバンド活動の中で幾らか前向きに、自分の強みを活かそうという心境にはなっていくものの、人格が大きく「矯正」されることはありません。本作が定義するバンドとは「バラバラな個性が集まって音楽を作り出す」もの。ひとりが持つ下世話で激しく鬱屈した感情も、矛先を整えれば強い武器となります。そして何より、ロックとはその根源において、反逆の音楽でありカウンターカルチャーなのです。後藤ひとり以上に相応しい人間が果たして居るでしょうか? この熱さ、体感しないのは勿体ない! バズるだけのことはある、『きらら』の未来を担いうる作品です。

 今回のセールでは、同作者の『きらりブックス迷走中!』全2巻も対象となっています。ギャグを主体としていてストーリーの骨組みが強い『ぼっち・ざ・ろっく!』とは作風がわりと大きく異なるのですが、神をも恐れぬ『きらら』レーベルのメタネタや、ブレーキの外れた過激な笑いには、間違いなくロックの遺伝子が隠されています。

 

【あとがき】

 ゼエゼエハアハア……最初は各作品三行ぐらいの短評で済ませるつもりだったのですが、気がつくと熱のこもったショートレビューになってしまい、記事の文字数は17000字を越えてしまいました。私は計画性がない上に物事を端的に説明できません、と宣言しているようなものです。まだまだ修練が必要ですね。

 ですがそれば、『きらら』漫画たちに、自分でも制御しきれないほどの熱弁をものぐさなオタクから引き出してくれるだけの熱量と奥深さが宿っていることの証左でもあります。願わくば今回の記事をご覧になった皆様が一人でも多く、私と一緒に『きらら』に狂ってくれることを願っています。

 あと、正直オススメしたい作品は100巻縛りだと足りないので、以下にリンクと一言コメントだけ無造作に貼り付けていきます。100巻買ったところでまだ10000円使ってないので、ザクザク買っちゃってください。それではまたの機会にお会いしましょう。

 

 園芸の漫画……のはずだが清純なビジュアルからは想像もつかない狂気が特徴。ちろり先生は一体何を考えていたのでしょうか?

  トレーディングカードゲームの漫画。競技的な楽しみとカジュアル的な楽しみを包摂する手付きが上手くて優しい。守護フェリダーのコスプレしたモブが出てくる。

ハナヤマタ 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
 

 

  今季、アニメが再放送中のよさこい青春物語。途中から変なギアが入って、問題作『おちこぼれフルーツタルト』に作風がつながっていくのを、アナキン・スカイウォーカーダース・ベイダーになるのを見る感覚で楽しんで欲しい。

 私の人生を変えた漫画。語りすぎて逆に語ることがないが、読んでないなら読んで。

 

ひろなex. 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

ひろなex. 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

  • 作者:すか
  • 発売日: 2013/10/11
  • メディア: Kindle
 

  おばかな中学生が大したこと無いことを大げさに楽しむ、そのおかしさに笑い、ちょびっとノスタルジーも感じる。

  私がすごく好きな吸血鬼百合があるんですが本番は3巻で割引範囲は1巻までなのでおとなしく全巻買ってください。

  「不可逆的な別れ」を物語の核心に据えた榛名まお先生の2作品。互いにシナジーがあるので両方読むといい感じ。

  工業高校というレアな題材のきらら漫画。不良要素はなく、真面目に工作をしている。DIYな気分のあなたに。

  表紙から漂うやばいオーラを裏切らないヤンデレ百合漫画。以前に単独で記事を書いているのでよければ読んでください。

  連ちゃんパパ並の倫理観とその場しのぎスキルを持つ女がエロ自撮りを送ってくる先輩とイチャイチャするために双子の姉妹になりかわったりストーカーと交渉したりする地獄の百合漫画。全2巻だからこそのすさまじいドライヴ感に震える。

  私的には『永い後日談のネクロニカ』のアートで有名な器械先生の作品。こういう癖の強い漫画こそ安くなってる時にオススメするべきかもしれない。

  「キスによって身体が入れ替わる」という設定を豊かな想像力で使いこなし、四巻分やり抜いたシチュエーション百合コメディの傑作。まちカドまぞくとほぼ同期。終わってからまあまあ経ったのに1巻しか無料じゃないけど買ってね。

  全くセール対象じゃないけど読んでほしい。これは少女たちの「人生」をクローズアップで描く大河ロマンだ。

 

【ゴジラ×MTG】プレインズウォーカーのための「ゴジラシリーズ」案内 その2

はじめに:この戦いで、全てが終わる

 この記事は、『イコリア:巨獣の棲処』でのゴジラ×MTGのコラボカードを通じて、原作における怪獣の設定や映画作品の魅力をお伝えする『プレインズウォーカーのための「ゴジラシリーズ」案内』の後編です。前編をまだ読んでいない方は、まずこちらからご覧ください。

youseitutor.hatenablog.com

⑨ベビーゴジラ:孤独な王の同胞、平成の「ゴジラの息子」

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・初登場作品:『ゴジラvsメカゴジラ

出典作品:『ゴジラvsメカゴジラ』(ベビーゴジラの名称)『ゴジラvsスペースゴジラ』(リトルゴジラの容姿)

 このキュートな怪獣の出典は曲者です。というのも、最初に「ベビーゴジラ」という名前で登場した彼は、登場を重ねて成長するごとに出世魚の如く名称と容姿が変わっていったからです。そしてこのカードは『名称はベビーゴジラだが、イラストに描かれているのはリトルゴジラの状態』というねじれ現象が起きています。ナンデ? ただし、『ゴジラvsスペースゴジラ』の劇中では設定上の名称である「リトルゴジラ」は一切呼称されず、依然として人間からは「ベビー」と呼ばれ続けるので、あながち間違いと言い切ることもできません。

 ゴジラvsメカゴジラに登場したベビーゴジラは、vsシリーズにおけるゴジラの起源である恐竜ゴジラザウルスの赤ん坊です。ゴジラの血の繋がった子供ではなく、ベーリング海に浮かぶアドノア島でプテラノドンの巣に托卵されていた卵から生まれた孤児であり、そのせいか翼竜怪獣ラドンと精神的な繋がりを持っています。また日本の国立生命科学研究所に運び込まれてからは、世話を焼いてくれた研究者・五条梓のことを母親とみなしてしまいます。鳥類の刷り込みのようですね。

 やがて紆余曲折を経てゴジラの元で生きていくことになったベビーは、何だかんだでちゃんと父代わりの怪獣王に懐きます。そしてゴジラvsスペースゴジラの頃には恐竜ゴジラザウルスとして大きくなり続けるのではなく、直立姿勢の怪獣リトルゴジラに成長していました。その時の姿が、カードイラストに描かれているものです。

 ベビーゴジラゴジラと種族としては全く同じなので、恐竜であるべきです怪獣に変質したリトルゴジラとしてはミュータント・恐竜となるでしょう。カエルと化したベビーは今回のコラボの楽しいツッコミ所の一つです

 一方で彼のカラーパイが青単色であることは、あながち間違いでもないと言えます。花瓶に入った生花や差し入れられたハンバーガーを口にして好物になったり、人間になついたりと、未知に心を開いた好奇心豊かな性格なのですから。一方で性格自体はおとなしめで野生の本能を十分に備えておらず、臆病な所があります。また或る種の精神感応能力を持ち、恐怖を感じると遠く離れていてもゴジララドンを呼び出すことができますが、これはMTGにおいて青に列するスキルです。

 ゴジラと人間たちに見守られながら健やかに育っていったベビー/リトルゴジラ。ですが彼にも試練の時と、これまで以上の爆発的な変化が訪れます。vsシリーズ完結編ゴジラvsデストロイアで、クジラを捕食するほどの体躯とゴジラに近い姿や本能を持つゴジラジュニアに変容を遂げた彼は、最後には――? 地球最大の親子愛が行き着く先を、ハラハラしながら見守ってあげてください。

ラドン:義兄弟を護るために命をかけた「翼竜怪獣」

https://mtg-jp.com/reading/kochima/img/20200403/0383_MTGIKO_Toho_JP.png

初登場作品:『空の大怪獣ラドンゴジラシリーズ内では『三大怪獣 地球最大の決戦

出典作品:『ゴジラvsメカゴジラ

 火山に住まう翼竜の怪獣ラドンモスラ同様に、単独作品でデビューを飾ってからゴジラシリーズに合流した怪獣です。『アベンジャーズ』シリーズをはじめとした現代のハリウッド映画に近い構造が、戦後20年足らずの日本の怪獣映画で成立していたのは中々興味深い話ですね。ゴジラシリーズ初出演作『三大怪獣 地球最大の決戦』で言う所の「三大怪獣」とは、すなわちゴジラモスララドンの三体を指します。現在は同作で初登場したキングギドラにtop3の座を脅かされている感もありますが、最新作『キング・オブ・モンスターズ』での凶暴なカッコよさと俗物ぶりが同居した怪演もあり、今なお高い人気を誇る一体です。ちなみに英語版ではカード名が「Rodan」(ロダン)となっていますが、これは誤表記ではなく正式な英語における呼称だったりします。

 コラボカードに登場するラドンは、角の形状や長く鋭い嘴、翼に浮き出た太い血管のディティールなどからゴジラvsメカゴジラに登場した個体だと考えられます。ベビーゴジラの項目で前述した通り、本作ではアドノア島に生き残っていたプテラノドンの巣にゴジラザウルスの卵が托卵されていました。プテラノドンはその卵を自分の兄弟だと信じ、それは使用済み核燃料の影響でラドンへと変容した後も、そして卵からベビーが生まれてからも変わりませんでした。ラドンは物語の序盤で卵に誘われてアドノア島に現れたゴジラと交戦し、一進一退の攻防の末に岩の下敷きになったにも関わらず平然と起き上がったゴジラに虚を衝かれ敗北します。ですが後半で鮮やかな赤色に染まったファイヤーラドンにパワーアップして戦線復帰し、日本へと飛来します。ただ「家族」を助けるために。

 『vsメカゴジラ』におけるラドンの前身は、翼竜プテラノドンと明確に設定されています。MTGでの「恐竜」は文化的なわかりやすさを重視して翼竜や首長竜が含まれ、逆に鳥類が排除されているので、ラドンのクリーチャータイプはゴジラ同様の恐竜・ミュータントとなるのです。実際のところ猫ではないと思います。多分。

 またこのラドンのカラーパイは赤白と捉えるのが自然ではないかと考えています。『vsメカゴジラ』の作中でラドンを突き動かす目的は一貫して卵および孵化したベビーゴジラを救出することでした。この強く行動的な家族愛はMTGでは赤に列するものであり、激しい情動を司る色としての一側面を示しています。一方でラドンにはモスラのように街を破壊しないよう努めるような性質は無いものの、「ベビーを助ける」という彼なりの正義のために自分の身すら顧みない無死の心があります。これは白、あるいは白の利他性と赤の愛情の重なる部分にあるものです。本作の最終決戦では、ラドンのこういった性格の極致たる名シーンが展開されます。

 『ゴジラvsメカゴジラ』のストーリーの真髄は、命を持ったゴジラと純然たる機械のメカゴジラの対決を描く上で、ゴジラの持つ心の機微や生命体としてのダイナミズムに真摯に向き合ったことです。本作ではゴジラの解剖学的な弱点が設定され、メカゴジラの最強の武装の一つはそこを突くものとなっています。また言わずもがなベビーゴジラの登場によって、地球に残された最後の同胞を求めるゴジラの姿が、過度な擬人化を伴わず丁寧に描かれているのです。また対するメカゴジラとそれを操る人々のドラマも「人類を護る盾」と「ある命にとっての災厄」という二つの側面を抱えることによって、奥行きに富んだ内容に仕上がっています。そして何より冒頭の格納庫のシーンからスーパーメカゴジラに合体しての最終決戦まで、重厚な戦闘ロボットとしてのケレン味を存分に発揮してくれるのが大きな魅力です。もちろんラドンも「怪獣の心」を演じる名脇役として活躍しています。総評すると、『vsメカゴジラ』は「戦闘のビジュアル的な楽しさと怪獣映画ならではのドラマを高いレベルで味わいたい」という欲張りなあなたにオススメの作品です。

⑪スペースゴジラ:自らの起源に牙を剥く「戦闘生命」

https://mtg-jp.com/reading/kochima/img/20200403/0378_MTGIKO_Toho_JP.png

初登場作品:『ゴジラvsスペースゴジラ

出典作品:同上

 スペースゴジラゴジラの派生としての恵まれたビジュアルとそれに恥じない強さを持ち、映画作品への登場は一回きりながら高い人気を誇る怪獣です。筋肉が露出したような腹部、星型の角、肩から突き出た突起物、顔面から生えた牙(これはビオランテの要素でもあり、後述する設定との関連性が窺えます)といった特徴は、SFCのゲームに登場したゴジラの強化形態「超ゴジラ」から借用したものですが、原型と違い巨大な結晶体の要素を盛り込むことで無機的な異質さが漂っています。

 ビオランテモスラを経由して宇宙に流出したG細胞が、ブラックホールに吸い込まれて結晶生命体と融合し、恒星の死による大爆発のエネルギーを吸収し、ホワイトホールを抜け出した時に進化を遂げて生まれたと思われる怪獣がスペースゴジラです。途中で幾つも異常な前提が持ち出された気がしますが、時折すごく大雑把になるのもゴジラの「味」の一つだと思います。まあゴジラvsスペースゴジラはシリーズ全体で見ても良くも悪くも大味さが極まっている映画なのですが……。

 スペースゴジラのクリーチャータイプを考える時に扱いかねる構成要素は謎の「結晶生命体」です。この設定は殆ど掘り下げられていない上に作中でも推論として語られるに留まり、G細胞により変容する前はどのような存在だったのかを判断する材料がほぼありません。何なんだよ一体こいつは……!!とブチギレながらMTGで辛うじて当てはまりそうなクリーチャータイプを探していた私の下に、やがて天啓が舞い降りました。

プリズム - MTG Wiki

 そう、プリズムです。

 MTGにおける「プリズム」は、《ダイヤモンドの万華鏡》というカードが生成するクリーチャー・トークンのためだけに存在する、超絶マイナーと言って差し支えないクリーチャータイプです。そして一般論としてのプリズムは、ガラスや水晶で出来た光を分散・屈折させるモノのことですが……実はスペースゴジラの肩の結晶には、口から吐く破壊光線――他ならぬ「コロナビーム」の軌道を曲げる機能があります。またゴジラの熱線を容易く減衰する強力なバリアを貼ることもでき、光学的な異能においては全ゴジラ怪獣の中でもトップクラスの多芸さと強力さを誇ります。そういうわけで、スペースゴジラのクリーチャータイプは恐竜・プリズムというのが私が導き出した答えです。

 スペースゴジラのカラーパイは奇しくも、神話レア版のカードの色:黒緑青と一致します。真っ先にリトルゴジラを痛めつける非情さや、遠い宇宙で誕生したにも関わらずゴジラを抹殺するため地球に飛来する、自らの存在を証明するかのような執念は非常に黒い性質です。加えてリトルを人質とし、エネルギーを宇宙から引き込む水晶が林立する空間に改変された福岡へとゴジラを誘い込む行動には、緑と青が合わさった「自己や環境そのものを強さを引き出すために順応させ、待ち伏せて戦う」性質が現れています。緑中心で優しくマイペースな性格の《永遠の頂点、ブロコス》と大きく異なりますが、同じ3色でも黒が主体の「残忍の氏族」スゥルタイの在り方とは似ていますね。

 『ゴジラvsスペースゴジラ』は正直に言えば些か強引な展開が頻発し、粗が多いです。特撮面でも、宇宙空間での描写がかなりお粗末だったりと難が無いわけではありません。というのも本作はトライスター・ピクチャーズのハリウッド版ゴジラの製作が難航している中で、『vsメカゴジラ』にて既存シリーズを完結する当初の計画を破棄し急造されたものなのです。ですが決戦シーンの特撮には非常に熱が入っており、前作のメカゴジラとは一線を画すスピード感に満ち格闘戦もこなす合体ロボット兵器MOGERAや、水晶のミサイルにコロナビームに『エイリアン』を思わせる鋭い尾による刺突攻撃と様々な技を操るスペースゴジラの迫力には鬼気迫るものがあります。そしてvsシリーズで唯一の「人間とゴジラの明確な共闘」と「そうしなければ勝てない超強敵スペースゴジラ」という熱いシチュエーションが強く押し出されており、細かいことは抜きにしてアドレナリンが湧き出すような勢いを持った作品と言えるでしょう。

デストロイア悪魔の発明によって目覚めた「完全生命体」

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初登場作品:『ゴジラvsデストロイア

出典作品:同上

 『ゴジラ』(1954)において、防衛軍が保有する兵器の一切を退けたゴジラは、若き科学者・芹沢大助が発明した物質「オキシジェン・デストロイヤー」によって死滅しました。この時に芹沢は予め研究資料を全て焼き捨てた上で、海底のゴジラを抹殺する作戦を自ら潜水服を纏って実行し、最後は命綱を切断して自決を遂げます。全ては、大量破壊兵器に転用されかねない「悪魔の発明」を忘却の彼方へ消し去るために。その後確かに、オキシジェン・デストロイヤーが人間の手で利用されることはありませんでした。しかしこの兵器による完全な無酸素状態は先カンブリア紀の水中に酷似した環境を作り出し、休眠していた太古の生物から怪獣が誕生するきっかけを作ってしまいました――そう、デストロイアです。

 ゴジラvsデストロイアに登場したこの怪獣は、第一作目以来の「ゴジラの死」を描く物語にふさわしく、かつて最初のゴジラを葬ったオキシジェン・デストロイヤーによって生まれ、あまつさえ類似した物質であるミクロオキシゲンを体内で生成します。元々は名もなき微生物でしたが、トンネル工事で酸素に触れたことをきっかけに恐るべき速度で増殖と合体を繰り返しました。程なくして陸上を歩き回る多脚の異形へと成長し、最終的にG細胞をも取り込んで有翼の大怪獣の姿=完全体へと変容しました。カードイラストに描かれているのはこの完全体ですね。ちなみに分離して前の形態に戻ることも可能です。しかも設定上は「これ以上進化しないという保証はどこにもない」のだとか。際限なく姿を変えるイコリアの巨獣たちに最も近い怪獣の一体かもしれません。

 スペースゴジラほどではありませんが、デストロイアのクリーチャータイプを判断するのは中々困難です。各形態は三葉虫カブトガニに似ていたり、サソリやクモを思わせたり、殆どドラゴンのようだったりしますが、デストロイアはその何れでもありません。しかも変化は可逆的なのです。頭を悩ませた末に、デストロイアに相応しい種族は多相の戦士なのではないかという結論に至りました。このクリーチャータイプは日本語訳の文面ではまるで職業のような印象を与えますが、原語では「Shapeshiter」であり「姿を変えるもの」という程度の意味です。実際に「戦士」とは言い難い諜報員や、人型種族ではない生命体も多く在籍しています。そこに多くのゴジラ怪獣同様の突然変異による成り立ちが加わるため、多相の戦士・ミュータントとなるはずです。

 カラーパイ的には、デストロイア黒青赤と考えられます。完全体となったデストロイアは非常に強く、ゴジラの肉体を切断するほどの破壊力を誇る凄まじい攻撃を繰り出します。ですが、それ以上に印象的なのは策を弄するバトルスタイルです。幼体の時には建造物の配管伝いに密かに這い回り、突然壁や床を崩して襲いかかる狡猾さで警察の特殊部隊を翻弄しました。巨大な怪獣となってからも、旗色が悪いとなると速やかに逃走し死んだフリからの不意打ちを行う狡賢さとアドリブ力は健在です。また過剰に攻撃的かつ残虐行為を楽しんでいるかのように見える面があります。幼体がパトカーの中に取り残されたニュースキャスター・山根ゆかりと相対した時には、敢えて殺さずに何度も車体を転がして恐怖を与え、ゆかりと視線が合うと不気味に微笑むように目を細めていました。これらを踏まえると、デストロイアには黒青的な奇策を駆使する知性と黒赤的な嗜虐性および瞬発力が備わっていると言えるのです。

 「ゴジラ死す」――この端的で痛烈な5文字こそが『ゴジラvsデストロイア』のポスターに踊るキャッチコピーです。そして予告詐欺ではなく本当に死にます。体内炉心が暴走して全身が赤熱し、いつ世界を崩壊させるほどの核爆発を起こしてもおかしくない巨大な爆弾と化したゴジラ。極大化したエネルギーを発散してもしきれず暴れ狂う様に胸を締め付けるような恐ろしさと哀しみを漂わせながら、物語は終局へと着実に進んでいくのです。個人的に、『vsデストロイア』はゴジラシリーズという「文脈」をある程度理解した上で体験して欲しいと思っています。具体的には『ゴジラ』(1984)~『ゴジラvsスペースゴジラ』を見た上で、更に『ゴジラ』(1954)を見てからの視聴をオススメします。本作はvsシリーズの集大成であると共に初代ゴジラの直接の続編という色彩が濃い作品です。キーアイテムとしてのオキシジェン・デストロイヤーとゴジラの死というプロットポイントの再利用に加え、ある登場人物が配役そのままに再登場し、その親族にあたる新キャラクターも主役級の活躍を見せます。本記事を読んでゴジラをシリーズとして楽しみたいと思っていただけたなら、怪獣王の道のりをしばし追いかけた後に、満を持して終わりゆく生命が残す最後の足跡を目撃してください。

メカゴジラ:人類最後の希望「3式機龍」

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初登場作品:『ゴジラ対メカゴジラ

出典作品:『ゴジラ×メカゴジラ』『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS

 「メカゴジラ」の名を関する怪獣は『ゴジラ対メカゴジラ』(「その1」のキングシーサーの項目で触れているので、まだの方は読んでいただけると幸いです)でデビューして人気を博すと、昭和シリーズの終了後も作品ごとに異なる世界観に合わせて様々な姿と設定を与えられて再登場しました。それらの中で今回のコラボカードに抜擢されたのはゴジラ×メカゴジラとその続編ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOSで活躍した3式機龍――対怪獣を専門とした陸海空に続く自衛隊第四の部門、特生自衛隊が誇る対ゴジラ兵器です。ちなみにカード名こそメカゴジラですが、作中でメカゴジラと呼称する人物は一作目にしか登場せず、もっぱら機龍と呼ばれています。

 機龍が歴代メカゴジラと大きく異なるのは、オキシジェン・デストロイヤーで軟組織を融解し尽くされた初代ゴジラの骨格をそのままフレームとして使用している点です。加えてゴジラの骨髄間質細胞を用いたDNAコンピュータを搭載しており、機械でありながら動物のような運動性能と反応速度を持つ超攻撃型メカゴジラに仕上がっています。また誘導弾を満載したバックユニット、口内のメーサー砲、そして機体の電力の約40%を引き換えに放たれる絶対零度の凍結破砕弾アブソリュート・ゼロと、武装も過去作の要塞じみたメカゴジラとは別ベクトルながら充実の一言。しかし「サイボーグのゴジラ」であることは機龍にとって強みであると共に、重大な問題にもなってしまったのです――。

 先述した通り、メカゴジラは外装は完全な機械であるものの、骨格は生体素材です。実はMTGにも《エイスサーの滑空機》という似たような性質を持つアーティファクト・クリーチャーが存在します。これは名前の通りエイスサーと呼ばれる巨大な鷹の骨を大胆に使用したグライダーであり、その生物としての出自に由来する「鳥」と人の手による「構築物」の2つのクリーチャータイプを持っています。これに初代ゴジラが恐竜とも言い難い微妙なカテゴリの生物であることを加味して、機龍のタイプは伝説のアーティファクト・クリーチャー - ビースト・構築物になるのではないでしょうか。

 MTGにおいて一般的なアーティファクトは無色です。しかし生体と機械の融合体やマナの力との深い関連性を示す、有色のものも中には存在します。機龍は人間の技術の粋を集め、国防のために生み出された存在でありながら、その内部には巨獣の命の名残を宿しているという点で青白緑の有色アーティファクト・クリーチャーです。『×メカゴジラ』の作中において機龍は眠っていたゴジラの本能が覚醒し、暴走して街を破壊してしまう描写があります。この問題はDNAコンピュータの塩基をオリジナルのゴジラのものから修飾塩基に変更する処置で克服されましたが、『東京SOS』では破壊的な暴走とは異なる形で機龍の意思が発露します。そして第一作目では支配すべき「野生」として描かれた「緑」の要素に、運命を受け入れ静かに眠る日を望む「受容」の側面が付与されるのです。或いは、機械でありながら命の残滓と底力を持っていることが機龍対ゴジラの結果を他のメカゴジラによる戦いとは異なるものにしたのかもしれません。

 機龍二部作は「怪獣に匹敵する兵器を持つ自衛隊」「家族の物語」「人間の敵であると共に悲劇の当事者でもあるゴジラを通じて生命の尊厳をうたう」というvsシリーズの作風に立ち返りつつ、戦闘の表現とSFとしての質感を21世紀風にリファインした作品群です。そこに「とある事情で一線を退いたエースパイロットの復活劇」「人一倍メカを愛する整備士と荒っぽいパイロットの対立と和解」といったロボットアニメ的な筋書きを組み込むことで、怪獣映画にあまり馴染みがない層でも見やすい作品に仕上がっています。機龍の設定や一部の展開で『新世紀エヴァンゲリオン』等の作品との類似性を指摘されることもありますが、逆に言えば「あ、これアレで見たやつだ」と理解をショートカットできるのは見易さにつながるものです。また過去の良く言えば重厚、悪く言えば鈍重なメカゴジラ像から一新された「高機動」な機龍の戦闘シーンは圧巻です。全体としてハイスタンダードでわかりやすいので初心者向けですし、ゴジラシリーズに直接登場していないものも含めて過去の怪獣がカメオ出演するので、東宝怪獣そのものに興味を持つ入り口としても価値のある作品と言えるでしょう。

ガイガン:異星の生ける殺戮機械「サイボーグ怪獣」

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初登場作品:『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン

出典作品『ゴジラ FINAL WARS

 猛禽類と爬虫類の凶悪でカッコいい所を混ぜて機械化したら、絶対イケてるに決まっています。それを実現したのがこのガイガン、どっしりと構えたキングギドラとは異なる鋭利なヴィランのイメージが魅力的な怪獣です。名前の「ガイ」は「ナイスガイ」に由来し、サングラスを連想させるバイザーは石原裕次郎氏のイメージから着想しているので、イケメンになるべくして生まれてきたわけですね。

 イラストのガイガンゴジラ FINAL WARSに登場した個体です。当時『仮面ライダー剣』の怪人デザインで名声を高めつつあった韮沢靖氏のデザインで、氏の好むレザーファッション風のモチーフがガイガンが元来持っていたイメージと見事に調和しセクシーな悪の魅力が全開になっています。作中では一度ゴジラに敗北し回収されたあと腕の武装をチェーンソーに換装していましたが、今回はデフォルトの鎌装備状態です。

 このガイガンがどういう生物なのかは極めて曖昧です。昭和版には「宇宙恐竜を改造したもの」(宇宙恐竜って何?ゼットン?)という設定がありましたが、『FINAL WARS』版は特に出自の情報がありません。ガイガンとそれを使役する侵略宇宙人X星人は「M塩基」と呼ばれる塩基を保有しているため、X星土着の生物である可能性が高いですが、それは特にクリーチャータイプを解明する助けにはなりません。仕方ないので、「雑多な怪物」としてアーティファクト・クリーチャー - ビーストのタイプを与えることにしましょう。記事全体を通して一番モヤッとする結果になってしまい申し訳ないです。

 ガイガンのカラーパイは赤黒です。地球怪獣をも支配下に置く侵略宇宙人の尖兵でありチェーンデスマッチやノコギリ系の武器などの凶悪な攻撃を得意とする、という点では黒の要素があるのですが、最も目を引くのは「無駄に赤い」ところです。改装後に再出撃するや否やカメラ目線でポーズを決め、終盤のモスラとの戦いでもやはり事あるごとにポーズを決め、戦いの中で無意味に自分のカッコよさを追求しています。そしてこのあまりに刹那的かつ芸術的な生き様のせいでとんでもなく痛い目に遭う所も含めて、非常に赤い部分が濃い怪獣なのです。

 ガイガンはどうやらX星人を指揮する統制官(名前が設定されていないが、演者が北村一輝さんのためファンからは北村一輝と呼ばれることが多い)のお気に入りの怪獣らしく、起動時には「ガイィィガァァァァァン!!!起動ォォォォォ!!」とコールがかかり、頭部を損壊して帰ってきたときは修理を受けるだけではなく腕に新しい武器を貰うことが出来ました。この統制官、支配下に置いた怪獣がゴジラに敗れると激しく地団駄を踏んで悔しがったり、トライスター版ゴジラそのものの容姿を持つジラゴジラに瞬殺されると「やっぱりマグロ食ってるようなのは駄目だな。次!」と原作の設定を批判し始めたりと、だいぶ勢いだけで生きています。「無駄に赤い」のは主従揃っての特徴かもしれません。

 『ゴジラ2000 ミレニアム』から始まった第三期ゴジラシリーズ、通称ミレニアムシリーズの最終作にして、ゴジラシリーズそのものの暫定的な締め括りとして作られたのが『ゴジラ FINAL WARS』なのですが……良くも悪くもぶっ飛んだ映画です。超人的な身体能力を持った生身の人間のバトルシーンが頻繁に挿入されたり、その生身の人間に曲がりなりにも巨大怪獣であるエビラが倒されかけたりドン・フライが演じる地球防衛軍の大佐も超人設定ではないのにめちゃくちゃ強かったり、BGMがキース・エマーソンが手掛けるゴリゴリのハードロックだったりと、「有終の美を飾る記念映画」としては尖りすぎています。ストーリーもこの上なく大味で、登場怪獣は非常に多い分扱いの差が激しいです。一方で歴代最強クラスの圧倒的な実力で次々と敵怪獣を薙ぎ倒していくゴジラには有無を言わさぬカリスマ性がありますし、ほぼ常に何かしらが戦っている絵面が続くので疾走感は全ゴジラ作品でも随一と言えます。誰にでも刺さるものだとは思いませんが、ジャンキーな味わいが好きだという自覚があるなら試してみるのも一興です。

シン・ゴジラ:無限の進化を続ける「巨大不明生物」

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 出典作品:『シン・ゴジラ

 正確に言えば、この怪獣は他でもない「ゴジラ」です。シン・ゴジラという名は、飽くまでも他作品のゴジラと区別するための通称です。しかしこれまでのゴジラとはあまりに異なる生態を持ち唯一無二の不可解な存在感を放つ「それ」には、『神』とも『真』とも『新』とも取れる「シン」の冠が似つかわしいようにも思えます。

 カードイラストにも描かれた赤みがかった皮膚、小さく濁った何を考えているか分からない眼、捕食の不必要性を暗示する乱れた歯といった特徴の段階で過去のゴジラとは異質ですが、これも実はシン・ゴジラの「形態のひとつ」に過ぎません。その本質は人間の約8倍の量の遺伝子情報を持ち、水と空気さえあれば食事なしに行動に必要なエネルギーを生み出し、自由自在な進化・退化・分裂を1個体で可能とする究極の生命体です。事実この形態をとったシン・ゴジラの尻尾には頭部に見えるパーツが備わっており、既に分裂の徴候が見られます。

 シン・ゴジラ放射性廃棄物の影響で異常な進化を遂げた可能性が提示されており、そのクリーチャータイプは、デストロイアとほぼ同じ理由で多相の戦士・ミュータントになるでしょう。実際「際限なく進化し変容する怪獣」としてのデストロイアとの類似性は、上映当時からシリーズファンの間では話題になっていました。

 一方でシン・ゴジラの性質や挙動はデストロイアとは大きく異なります。この怪獣からは悪意はおろか、大凡「感情」や「欲求」と呼べるものが感じ取れないのです。前述した通り食事やエネルギー補給のために地上に出る必要はなく、また人間への憎悪から立ち止まって意図的に建物を破壊することもなく、淡々と「前進を続ける」だけで都市を粉砕し人命を奪っていきます。唯一明確に見て取れるのは自己保存の本能であり、人間の兵器から攻撃を受け負傷した時に急激な進化を起こしていました。純粋な「自然の災厄」といった雰囲気のシン・ゴジラですが、断片的に示唆される「次の進化」では複数体の人型生物に分裂する可能性があり、本当に怪「獣」の枠に収まるかも分からない存在です。一方でその際限ない進化や永久機関の如きエネルギー生成システムを解明できれば、人間に無限の物理的可能性をもたらす「福音」ともなりうると作中で語られています。

 上記を踏まえ、シン・ゴジラのカラーパイは緑青だと判断します。緑青はありのままの自然を司る緑と完全性への永遠の変革を是とする青が合わさった結果「環境への順応」「状況への適応」「未知の可能性」「進化する生命」といったテーマを持つ色ですが、シン・ゴジラの特性はこれら全ての極致を示しています。それはただ生き続けるために生命をまっとうする緑であると共に、人間の攻撃や周囲の状況を適切に分析して合理的な進化を行い誰も知らない完璧さに向けて変わり続ける青なのです。尤も、このゴジラに平成の日本を相次いで襲った大地震、特に東日本大震災のメタファーという側面が含まれていることを考えると、カードの色が赤なのも一つの「符合」かもしれません。MTGにおいて《地震》は赤なのですから。

 これまで紹介したゴジラ映画は基本的に『ゴジラ』(1954)との繋がりを持っていましたが、シン・ゴジラは完全に世界観をリセットした作品です。本作の世界には過去にゴジラが現れたことがないばかりか「怪獣」という語彙が存在せずゴジラ命名されるまで「巨大不明生物」と呼ばれます。そして作中の技術レベルや社会構造は現実とほぼ同様であり、現実対虚構ニッポンたいゴジラのキャッチフレーズの通り「もしゴジラ現代日本に上陸したら?」というシチュエーションが理詰めかつハイテンポな政治劇を軸として臨場感豊かに描き出します。都市の破壊の描写もリアリズムに溢れ、直接的なゴア描写を意図的に排除しているにも関わらず、非常に痛切に感じられる一級品です。そして中盤にゴジラが「ある行動」に出たことを境に物語のギアが明確に一段階上がり、絶望の中で団結し死力を尽くす人々が大きなカタルシスを生みます。この作品を取り上げて「本当に虚構なのは日本とゴジラのどちらか」と考え込んだり、今まさに生物的な存在の進化によって苦境に立たされている人類に思いを馳せるのもそれはそれで楽しいのですが、何を置いてもエンターテイメントとして最高なのでぜひ見てほしいタイトルです。

【EX】ヘドラ:高度経済成長の影に潜む「公害怪獣」

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初登場作品:『ゴジラ対ヘドラ

出典作品:『ゴジラ対ヘドラ

 シン・ゴジラの項目をもって、『イコリア』とのコラボでカード化された怪獣を紹介し終えました。ですがこの記事の「その1」を投稿してから今までの間に、ちょっとしたサプライズがありました。それはゴジラシリーズの怪獣が描かれた基本土地5枚セットの『Secret Lair Drop Series』が発表されたことです。全ての土地に昭和風のゴジラが登場し、加えて平地にはモスラが、山にはラドンが、そして沼にはヘドラが姿を見せました。私は「想定外だけどここまで来たらヘドラも紹介しなければ」という使命感に突き動かされ、気がつくと項目が一つ増えていたのです。

 ヘドラは公害が社会問題となっていた1971年に初めて出現した怪獣です。宇宙から飛来した鉱物生命体ヘドリウムが海に撒き散らされた汚染物質と融合し、ヘドラへの変容を遂げました。最初はオタマジャクシに似た小さな怪獣でしたが、汚染物質を吸い込みながら融合と進化を繰り返して地上へ上陸し、金属を腐食し人間を白骨化させる硫酸ミストをばらまく飛行形態を経て、最後はゴジラを凌ぐ体躯を持つ完全体となります。このヘドラ、実は歴代でもかなり強い怪獣の一体で、ゴジラの左目を潰し手を白骨化させる大きな戦果をあげています(次回作では何事もなかったように健康体に戻っていますが)。更に旗色が悪くなると空を飛んで逃走を図る冷静さを持ち、ゴジラ放射火炎の反動で空をぶっ飛ぶ奇跡の技を繰り出さなければ捕獲は叶わなかったでしょう。

 ヘドラシン・ゴジラデストロイアに先駆する「段階的に姿を変えながら巨大化していく怪獣」です。ただその変化は生物としての形態そのものが変わってしまう後の二者ほどドラスティックなわけではなく、汚染物質と他のヘドラ個体を巻き込みながら膨れ上がっていく中で能力が増えていく、というのが適切です。つまりスライム型の不定形生物であり、このような怪獣にはウーズというピッタリのクリーチャータイプがあります。

 ヘドラはカラーパイ的には黒青に分類されます。それは人類の犠牲を顧みない発展を契機として誕生した怪獣であり、多くのゴジラ怪獣の中でも最悪レベルの「命を奪う」「環境を汚染し自分の望み通りに変える」ことに特化した能力を保有しています。また自身の姿を自在に変化させ、増殖と分裂を行い、青が持つクリーチャーの特性変更やコピー能力さながらの幻惑戦法でゴジラ自衛隊を苦しめるのです。余談ですがヘドラには「忍者怪獣」というもう一つの異名があります。これが予告編では「公害怪獣」の代わりに使われていますが、MTGにおける忍者は黒青に列する職業とされています。

 ゴジラ対ヘドラは歴代作品でも特に濃厚に世相を反映した作品ですが、ただ社会問題を意識した作品という以上に映像が凄まじいです。不似合いな明るい曲調で凄惨な公害の現実を歌うテーマ曲「かえせ!太陽を』をバックに汚れきった海と壊れたマネキンや無数の死んだ魚が映し出されるOPからして、面食らうほどの強烈さが漂っています。ヘドラによって白骨化する人間を筆頭におぞましい表現が頻発し、そこにサイケデリックやゴーゴーと言った時代の文化の活写が重なり合い、類を見ない独特な雰囲気が形成されているのです。生理的嫌悪感を煽る生々しい怖さゆえに万人受けはしないと思いますが、70年代初頭でなければ作れなかった圧倒的な「質感」があり、個人的にはとても好きな映画です。

結び:いま、壮大なロマンの目覚め!

 以上で、2回に渡る『ゴジラ』の怪獣たちの紹介記事は完結となります。「その1」でも書いた通り、自分はゴジラのことなら何でも知っている「マニア」を名乗るほどではなく、普通の「ゴジラファン」です。ですがMTGゴジラ両方を愛する者として、自分なりに気合を入れて『プレインズウォーカーのための「ゴジラシリーズ」案内を執筆させていただきました。ゴジラシリーズは怪獣という巨大な生命を通じた文明批評の要素を根底に抱えており、「緑」の思想と相通じるものがあります。そういった視点でゴジラの歩みを辿ることで、MTGゴジラを両方知っているからこその楽しみ方を味わえるのです。この記事を通して、一人でも多くのMTGプレイヤーの皆様がゴジラ映画に興味を持ってくださることを願っております。

 

 

【ゴジラ×MTG】プレインズウォーカーのための「ゴジラシリーズ」案内 その1

はじめに:ゴジラか、プレインズウォーカーか、驚異と戦慄の一大攻防戦!

去る4/3、私たちは誰も予想だにしなかった衝撃的な光景を目にしました。

mtg-jp.com

 世界初のトレーディングカードゲームMagic: the Gathering』(以下MTG)と、日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』シリーズ、この2つの超強力コンテンツによる夢のコラボレーションが発表されたのです。

 ゴジラシリーズのキャラクターはMTGにおいて、怪獣映画をモチーフとした最新カードセット『イコリア:巨獣の棲処』に収録されるカードのイラスト違い版として登場します。つまり、ジョークカードなどではなく実際にゲームで活躍させられる、ということになります。

 ところでMTGでは、カードセットごとに背景世界の緻密な設定を練り上げ、電子書籍や公式サイトのWeb小説といった形で本格的なストーリーが語られることも魅力の一つです。共に戦うキャラクターやマナを生み出す土地の物語を知ることで、単なるゲームの駒として以上の愛着と没入感を得ることができる――そんな体験を、特に「ヴォーソス」(背景世界のファンであるプレイヤーを指す言葉)を自認するプレイヤーは毎回楽しんでいるかと思います。

 では、ゴジラシリーズについても同じことをしてみるのはどうでしょうか。

 そう、映画を見るのです。しかしながらゴジラ映画は本当に膨大なので、どれから見ればいいかわからない人も多いかと思います。そこで今回の記事では、MTGに登場する怪獣たちを出展作品と共に紹介し、原典での生態や映画の見どころをお伝えしていくことにしました。ですがそれだけなら新鮮味がないですし、私も「ゴジラシリーズをほとんど見ている」というだけで、何でも知っている熱烈なファンだとは到底言えません。そこで「ゴジラシリーズをほとんど見ているMTGのオタク」にしかできない視点での記述を交えていくことにします。それはすなわち、

各怪獣の「本来の」クリーチャータイプ

カラーパイ漫談師として判断した作中における各怪獣が属するカラーパイ

の2点です。これらは『イコリア:巨獣の棲処』においてはイラスト差し替えという手法のために、微妙に外れていたり、場合によってはかなりトンチキになってしまっているのです(それはそれで面白いですが)。

 ちなみに、ゴジラシリーズの映画作品は現在Amazon Primeに入れば殆どが無料で視聴できます。例外は『キング・オブ・モンスターズ』と『GODZILLA』アニメ三部作ぐらいです。なので、変な先入観を持ちたくないのでしたら今すぐ見に行って貰っても構いません。では、そろそろ記事の本題に入りましょう。

ゴジラ:地球の怒りに咆哮する「怪獣王」

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初登場作品:『ゴジラ』(1954)

・出典作品:『ゴジラ』(1984)~『ゴジラvsデストロイア』の「vs」シリーズ

 怪獣映画を一本も見たことがない人でも、殆どがその力強く響き渡る名前と刺々しい背びれを王冠のように戴いた巨体を知っているでしょう。65年続いてきた壮大なシリーズの看板であり、誰もが知っているからこそプロ野球選手のニックネームにすら使われ、日本のキャラクターで唯一ハリウッドのウォーク・オブ・フェームに名を連ねる。ゴジラという存在はもはや文化となっており、語り尽くせないほどの逸話に満ちていますが、今はキャラクター性にMTG的な視点から焦点を当てることに専念しましょう。

 まず、今回カード化されたゴジラのクリーチャー・タイプ(種族)は「恐竜」です。意外に思われるかもしれませんが、実は恐竜が起源だと設定されているゴジラはそう多くありません。事実、第一作では「水棲爬虫類から陸上獣類へ進化する中間の生物」と推測されています。MTGではなんとも分類しにくく、ビーストに押し込まれるでしょうか。『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』では太平洋戦争の犠牲者の怨霊=スピリットですし、アニメ『GODZILLA』三部作に至ってはなんと植物です。

 では明らかに恐竜であるゴジラの出典はどこなのかといえば、1991年公開の『ゴジラvsキングギドラ』です。この作品では、「ゴジラザウルス」という恐竜の生き残りが水爆実験の影響で変容しゴジラになると語られています。また本作に登場する2体のゴジラは1体は前作『ゴジラ』(1984)および『ゴジラvsビオランテ』の個体と、もう1体は続編の『ゴジラvsモスラ』~『ゴジラvsデストロイア』に登場するものと同一なので、一連の「vsシリーズ」全体で共有できる設定と言って良いでしょう。カードに描かれた筋肉質な体型、小さめの頭部と鋭い瞳、背中の高い位置に分布した最大の背びれといった特徴も、同シリーズにおける『vsビオランテ』以降のゴジラの様相を呈しています。ボックスプロモ版だけでなく、アンコモン版も同様です。(なぜか爪が真っ黒ですが)

 上記を踏まえると、vsシリーズのゴジラのクリーチャータイプに恐竜が含まれるのは間違いありません。ただ放射性物質によって肉体が爆発的に変化したことを踏まえると、「変異体」を意味するミュータントのクリーチャータイプを持っているとより適切に思えます。つまりミュータント・恐竜が彼の「本来の」クリーチャータイプです。

 カラーパイに関してですが、vsシリーズのゴジラはカード同様に緑赤です彼は本シリーズにおいて「人間のエゴにより安住の地を失いさまよう悲劇の生命」と「本能のままに暴れまわる人類文明の脅威」という二面性を強調されており、それは緑の巨獣を通して文明批評を行う際の両極の視点と言えます。また人間への怒りをぶつけるかのように都市に上陸して暴れまわる一方で、『vsキングギドラ』ではかつてゴジラサウルスだった頃に遭遇した人間に対して入り組んだ感情を示し、『vsメカゴジラ』以降では最後の同胞ベビーゴジラへの愛情を見せるなど、赤らしい多様で激しい情動を持ちます。この怪獣の感情表現の機微はvsシリーズの特徴の一つとも言えるので、基本的に人間と馴れ合わないけれど怪獣なりの心を持つ、キャラクター性の強いゴジラを見たい人にはうってつけです。

 また今回のコラボとは直接関係ありませんが、記念すべき第一作であるゴジラ』(1954)はシリーズを履修するスタートラインとしても非常にオススメできます。それは単純に映像史に残る珠玉の名作というだけでなく、以降の殆どの作品が「他シリーズ作品との連続性がなくても、初代ゴジラの事件は起きている」設定だからです。特に『ゴジラvsデストロイア』や『ゴジラ×メカゴジラ』は初代との繋がりが非常に強いため、先に見ておくと物語をより楽しめます。

 ちなみに今回のコラボでカードの名称にも用いられた「怪獣王/King of the Monsters」の名は、1956年に上映された第一作目の海外版のタイトルに端を発し、2019年の最新作『キング・オブ・モンスターズ』でも用いられた象徴的な称号です。つまり、ファンにとっては非常に粋なチョイスというわけですね。

 あ、4回サイクリングすると出てくる巨大不明生物については当記事の「その2」で別項目を設けて後述します。

アンギラス:時に凶暴、時に忠実な昭和の「暴竜」

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初登場作品:『ゴジラの逆襲

出典作品:恐らく『怪獣総進撃』~『ゴジラ対メカゴジラ』の個体

 アンギラスゴジラシリーズ第二作目『ゴジラの逆襲』で初登場し、ゴジラと初めて交戦し、「怪獣と怪獣が戦う」という以降多くの作品で用いられるフォーマットの先鞭をつけた偉大なパイオニアです。凶暴な性格をした1体目は大阪に上陸してゴジラと激闘を繰り広げた末に殺害されたものの、『怪獣総進撃』以降昭和シリーズの終盤まで登場した2体目は協調性が高く、宇宙からの侵略者と戦うヒーローとなったゴジラのよき相棒として活躍しました。

 一方で平成の作品では四足歩行の演出しづらさや後の怪獣と比べて地味な外見が災いして、出番に恵まれませんでした。企画段階では起用されていたのに最終的に消えてしまうことを繰り返しているのは、特筆すべき不幸です。1974年の『ゴジラ対メカゴジラ』を最後にスクリーンを去った彼がようやく再登場を果たしたのは、ちょうど30年後の『ゴジラ FINAl WARS』のことでした。

 アンギラスはその出自が恐竜だと明言されており、少なくとも初代はゴジラ同様に水爆実験で突然変異を起こしています。そのためクリーチャータイプは恐竜・ミュータントとなるはずです。

 さて、カラーパイの話をするにはまずこのアンギラスがどの作品のものかを特定しないといけないのですが、少し自分の判断に自信がありません、と前置きしておきます。というのもこのイラストはアンギラスの出典を定める因子の一つである「角の本数」が正確に判断できない構図だからです。その上で「初代と違って背中の棘が整列しており、横向きに生えているものがない」「FINAL WARS版と違って二の腕や腿の棘がない」という点から、怪獣総進撃』~『ゴジラ対メカゴジラ』に登場した二代目アンギラスなのではないかと判断しています。もしアンギラスに詳しい方がツッコミ所を発見されたら、ぜひ教えていただけると幸いです。

 その上で、二代目アンギラスのカラーパイは白単色なのではないかと考えています。彼は平時は温厚ですが戦闘が始まれば恐れを知らずに闘い、『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』においてはゴジラの命令を受けて偵察に向かう忠実な姿を見せています。そして同作ではガイガンの攻撃からゴジラを庇うような描写もあり、仲間を守るために自分を捨てることすら厭わない精神性の持ち主なのです。カードの色である緑はむしろ、本能のままに暴走する典型的怪獣だった初代アンギラスに似合いますね。

 二代目アンギラスの登場作品といえば、なんといっても怪獣総進撃でしょう総勢11体の怪獣が暴れまわり、世界中のランドマークが破壊され、地球怪獣軍団が富士の裾野でキングギドラを包囲する! 映画全体を貫く混沌とした熱量の中で、一番槍としてキングギドラに牙を立てるアンギラスの勇敢さが光ります。

キングシーサー:沖縄を守護する曰く付きの「伝説怪獣」

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・初登場作品:『ゴジラ対メカゴジラ

出典作品:同上

 このカードを初めて見た時、私は正直メチャクチャ驚きました。キングシーサーといえば、映画作品には2回しか出てきてないし戦績も芳しくないドマイナー怪獣だからです今回のコラボで2枚もカードを作ってもらえた上に片方は神話レアというのはハッキリ言って奇跡ですね。この怪獣は『ゴジラ対メカゴジラ』と『FINAL WARS』に出演していますが、耳の形状やアンコモン版の足指の数からして出典は『対メカゴジラ』のほうかと思われます。

 キングシーサーは名前の通りシーサーの怪獣です。古代琉球に存在したという設定の架空の国『安豆味王国」の守護神であり、言い伝えによればかつて本土の人間が侵略に来た時に目覚めて戦ったと言われています。その割に太平洋戦争はスルーしているはずなので、沖縄そのものではなく飽くまで王族の守護神なのかもしれません。

 出典作品ゴジラ対メカゴジラ(「ゴジラ対」のタイトルを持つ作品は70年代までのいわゆる昭和シリーズで、80年代からの「vs」シリーズや2000年からの「ミレニアム」シリーズとは別物です)において、キングシーサーは宇宙からの侵略者ブラックホール第3惑星人が作った兵器であるメカゴジラを迎撃します。ですが登場シークエンスが曲者で、安豆味王族の末裔・那美が3分ぐらいかけて歌を歌わないと封印が解けません。その結果、すでにメカゴジラは出撃しているのに戦闘が発生しないままムード歌謡をじっくり聞かされるという珍事が起きており、しばしばネタにされます。

 キングシーサーの怪獣としての強みは、ビーム攻撃を右目で受けて左目で反射する技と、敏捷な動きから繰り出される連続攻撃です。後者はカードで持っている二段攻撃に通じるかもしれません。しかしメカゴジラは大量のミサイルを搭載しているため最初の攻防が終わるとすぐにビーム反射をケアされ、パワー面で大きく引けをとっているため接近戦もあまり効果的ではありません。最終的に沖縄に上陸したゴジラが参戦すると、キングシーサー怪獣王を盾にするかのごとく後方に控えてしまいます。そしてゴジラの新たな能力によってメカゴジラが拘束されるや否や水を得た魚のように凄まじい勢いで連続タックルを浴びせ始めるという、なんとも微妙な戦いぶりを見せるのでした。

 キングシーサーのクリーチャータイプですが、猫であることは間違いないと思います。なぜならMTGにおいてはネコ科動物はライオンやトラのような猛獣もレオニンやラクシャーサのような亜人、更にはイコリアの怪物たちも含めて猫であり、獅子を模した神獣であるシーサーが猫ではない理由がないからです。そして守護獣としての霊性を反映するなら、スピリットとかアバターとかのクリーチャータイプが適切かと思われます。つまり猫・アバターでどうでしょう。え、神? そんな格は残念ながら……。

 キングシーサーのカラーパイは白単色です。この怪獣は何よりもまず王族の守護者です。そして歌を2番までしっかり歌いながら祈りを捧げないと動かないし、国土が蹂躙されようと国家の体制が変わっていれば放置するお役所仕事的なところがあります。この良く言えば厳格、悪く言えば柔軟性に乏しい性質は白の一側面であり、能力の一つが相手がビームで攻撃しなければ意味がないのも事後対応的な色としての特徴を示しているわけです。生物というよりは、そうあるように構築された機構に近い印象かもしれません。自由と個我の気風が強い黒赤の性質は感じられず、カードとの乖離が比較的大きい怪獣の一体かと思います。(アンコモンの方は白単ですが)

 そんな彼が登場する『対メカゴジラ』は、スパイアクション仕立てのスリリングなストーリーラインやタイアップによって安くロケができたという沖縄の風光明媚な景色、そして何よりもシリーズを通してゴジラの前に立ちはだかる強敵・メカゴジラの魅力的な初登場をエンタメ性豊かに描いた秀作です。メカゴジラの攻撃で巻き起こる爆発や「首が360度回る」などの機械ならではの演出はド派手で、本作で多用されるゴジラの流血描写も相まって「最強のマシンと最強の生物」の対比を存分に楽しめます。ぜひ、昭和の特撮の底力を楽しんでください。

ビオランテ:悲劇が生んだ異形の「バイオ怪獣」

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初登場作品:『ゴジラvsビオランテ

出典作品:同上

 第一作目でまだ鮮明に記憶されていた戦争の恐怖を語り、水爆実験に警鐘を鳴らしていたゴジラシリーズは、以降も作風や怪獣の設定に制作当時の世相や最新の技術を強く反映します。バイオテクノロジーの暴走が生み出した薔薇とG細胞――凄まじい生命力を秘めたゴジラの体細胞――の融合体、ビオランテはまさにその一例です。

 ビオランテ遺伝子工学の権威・白神源壱郎が、とある事件によって亡くなった娘の遺伝子を組み込んだ薔薇を素体としています。三原山火口内で休眠中のゴジラが活動したことによって地震が起き、その薔薇が死滅しそうになった時、源壱郎は「不滅に近い再生力を持つG細胞を組み込み延命を行う」という考えに至りました。そして対ゴジラバクテリア兵器の開発に協力する見返りに、G細胞を調達して恐るべき構想を実行するのです。その結果、薔薇はビオランテと化してしまいました。ゴジラvsビオランテの事件の元凶はある意味彼です。怪獣同士が戦う段になっても責任を取ると言うよりは淡々と状況を観察する姿は狂気すら感じさせますが、娘の死によって彼の心はどこかが壊れてしまったのかもしれません。

 ビオランテの構成要素は3つです:白神源壱郎の娘である英理加の細胞、薔薇、そしてG細胞。つまりクリーチャータイプとしては人間・植物・恐竜ということになります。コラボでビオランテのイラストを与えられた《死の頂点、ネスロイ》のクリーチャータイプである猫・ナイトメア・ビーストが掠りもしていないため、ネタにされる度合いは一番大きい気がします。挙句の果てに英理加役の沢口靖子さんは実は猫だったのでは?なる珍説まで飛び出す始末です。

 クリーチャータイプの複雑骨折ぶりとは裏腹に、緑黒白という色の組み合わせはビオランテが持つ要素を正確に捉えています。それは植物であり、またゴジラの眷属です。死者の復活を望む強いエゴの元に、生命を容赦なく弄んだ結果の産物でもあります。そしてまだ僅かに人間の意思と優しさが残っており、薄れゆく英理加の心は怪獣と成り果てることを望んでいません。MTGでのイラストも、今のところ市街には被害が出ているように見えず、もしかしたら怪獣性と人間性の葛藤で動きが止まっているのではないか――と想像してみるのも乙なものです。

 『vsビオランテ』は、シリーズファンの間でもストーリー面が高く評価されている作品です。G細胞をめぐる国家間の策謀戦、怪獣を生み出した人間の狂気と悲哀、ゴジラ上陸阻止作戦の緊迫感といった多様な要素が、終始シリアスなトーンの中でうまく融合しています。まるでビオランテ自身のように。一方で特撮面でも、設定段階では動かないはずだったビオランテが幾つもの触手を振るいながらゴジラに迫る衝撃的な操演シーンなど、戦闘シーン自体は短めながらこの作品ならではの見所があります。何を見るか迷ったら取り敢えず見てほしいゴジラ作品の一つです。

キングギドラゴジラ宿命のライバルたる「超ドラゴン怪獣」

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初登場作品:『三大怪獣 地球最大の決戦

出典作品:『ゴジラvsキングギドラ

 凶悪さの中に威厳が同居した黄金の巨体、生命としての異質さを窺わせる獰猛な3本の首、伝説に語られるドラゴンそのものの強靭な翼。見た目からして絶大なスター性を誇るキングギドラは、ゴジラの宿敵No.1と言える怪獣です。作品によって宇宙産だったり未来産だったり国産だったり異次元産だったり、世界観と共に設定も大きく変わりながらも、ゴジラと相対するときは必ず強敵として君臨しています。

 このイラストに描かれた個体は、頭部の形状などからしゴジラvsキングギドラ準拠のデザインです一方で「宇宙の帝王」という二つ名は『三大怪獣 地球最大の決戦』以降の昭和シリーズや、『キング・オブ・モンスターズ』で描かれた宇宙怪獣としての姿を連想させ、チグハグな印象です。少し判断に悩みますが、同時にドラットが収録されていることや色(いずれも詳細は後述)から、このギドラは『vsキングギドラ』版がベースということで話を進めて行きます。

 『vsキングギドラ』におけるキングギドラは、23世紀の未来人が生み出した人工生物ドラット3匹がタイムマシンで運ばれ、20世紀のビキニ環礁で行われた核実験のエネルギーによって融合・変異したことで生まれた怪獣です。また書籍などに記載される二つ名は「超ドラゴン怪獣」となっています。上記を踏まえると、クリーチャータイプはドラゴン・ミュータントということになりそうですビオランテ同様に掠りもしていませんが、白が含まれていないと猫が入らないせいであまり面白くはありません。

 キングギドラは前述の通り登場作品によって出自と性格が大きく異なり、例えば『キング・オブ・モンスターズ』や『モスラキングギドラ来襲』の個体は自我が強く狡猾で黒青の要素が強いですが、vsギドラに関して言えばカード通りの青赤緑が適切に思えます本作のキングギドラとは即ち爆発と放射線のエネルギーを利用した進化を遂げ強大な肉体を獲得した人工生物であり、その発生過程に赤の突発性、青の作為性、緑の成長と適応が全て含まれているのです。また当該個体は特殊な音波によって未来人に操作され、現代の日本を襲いますが、MTGにも《呪文縛りのドラゴン》という「赤のドラゴンを青の陣営が洗脳し操っている」というフレーバーを持つクリーチャーがいます。個人的には邪悪な宇宙怪獣キングギドラが好きなのでギドラには黒のイメージがあったのですが、vs版であることを前提に考察してみるとかなり筋が通っており、コラボカードの中でも感動を禁じ得なかった1枚です。

 娯楽大作、という言葉が『vsキングギドラ』にはピッタリ合います。敵役トップスタァであるキングギドラゴジラの対戦相手に起用し、更にサイボーグへと改造された姿のメカキングギドラまで登場する大盤振る舞い。敵味方が状況の進展によって目まぐるしく入れ替わる波乱に富んだ展開と、ド派手な全体像の中で良い意味で浮いている「ゴジラに救われた男」新堂靖明とゴジラ自身の悲壮なドラマは見る者を飽きさせません。臆面もなく繰り出される『ターミネーター』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『エイリアン2』などのSF洋画に露骨にインスパイアされた箇所や真面目に考えるほど混乱してくる矛盾した時間旅行の描写などおおらか過ぎる部分もありますが、心の底から「楽しい」という気持ちが沸き上がってくるゴジラ映画です。

 また「宇宙の帝王」の名に相応しいキングギドラを見たい方には、ゴジラシリーズ最新作『キング・オブ・モンスターズ』を手にとって頂きたいです。本作のキングギドラは無慈悲さと邪悪な知性と悪意ある感情を兼ね備えた黒青赤の宇宙怪獣であり、地球本来の怪獣王であるゴジラに挑みかかる「偽りの王」としてのカリスマ性を発揮します怪獣の表現がCGに移行したことを活かした翼を腕のように活用し荒々しく疾駆するギドラの姿はまさに大迫力! ドハティ監督の「ゴジラ信仰」に根ざした神々しさすら覚える怪獣の姿とパンチの強い狂人ドラマには、Amazon Primeで無料じゃなくても円盤を買ったりレンタルするなどして見る価値があります。

⑥ドラット:未来人の陰謀に利用された「バイオ生物」

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初登場作品:『ゴジラvsキングギドラ

出典作品:同上

 ドラットについては、キングギドラの記事でほぼ説明しているので単体の解説は大胆に省略します。このカードは赤青ですが「専用の笛によって飼い主の感情を理解し、命令を聞く」という能力が、赤の共感性と青の操作の要素を示し、また何よりも完全な人工生物なのでカラーパイ的には違和感がないですね。

モスラ:生命の守護神、心優しき「巨蛾」

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・初登場作品:『モスラ』(1961) ゴジラシリーズ内では「モスラ対ゴジラ

・出典作品:『ゴジラvsモスラ

 単独映画でデビューを飾った後、ゴジラシリーズに合流後も重要な役割を演じ続けたモスラは、名実ともに怪獣王ゴジラに比肩する「怪獣の女王」です。巨大な蛾を思わせる優美な外観に、ゴジラキングギドラといった強豪たちと渡り合う強さと勇気、そして人間を含めた生物を慈しむ優しさを併せ持ちます。かくいう私も初めて劇場で見た怪獣映画は『モスラ3』――平成モスラ三部作の完結編で、史上最強のモスラが歴代最強クラスのキングギドラと激闘を繰り広げる力作――ですので、少なからぬ思い入れがある怪獣です。

 モスラが登場する作品は非常に多いですが、今回のカードイラストはゴジラvsモスラのバージョンに基づいていると思われます。モスラの航跡を染めて舞う黄金の鱗粉は、川北紘一特技監督の十八番である金粉をふんだんに使用した、同作のクライマックスシーンを思い起こさせる美しさ! このあたりは実際に映画を見てもらえれば実感が深まるのではないでしょうか。

 登場作品を問わず、モスラのクリーチャータイプに昆虫が含まれるのは明らかです。珍しくコラボカードと完全な噛み合い方ですね。というより元々のカードである《光明の繁殖蛾》自体が巨大な蛾を描いたものなので、根本的にモスラトップダウン・デザイン(明確な元ネタがあり、そのMTG流の再現を意図したデザイン。例えば映画『ザ・フライ』から着想した《秘密を掘り下げる者》やアーサー王伝説の聖杯を元にした《永遠の大釜》など)である可能性すらあります。作品によっては神やスピリットといった超常系種族を持つ場合がありますが、『vsモスラ』準拠なら昆虫のみでいいでしょう。

 また同作におけるモスラのカラーパイは、白緑であると判断するのが妥当かと思います。彼女は超古代文明の担い手だった小人種族・コスモスに崇拝される存在です。超古代文明の終末期、後述するバトラが行き過ぎた文明を破壊するために出現した時には、飽くまでコスモスを守るために立ちふさがりました。またバトラやゴジラといった脅威も殺害ではなく封印で処理しようとする姿勢は、フレーバー的に殺害ではない除去、特にエンチャントによる追放除去や戦闘参加の禁止を擁する白そのものといえます。一方でモスラには「地球の意思が生み出した守護者」としての側面もあります。そして卵→幼虫→繭→成虫の各形態がそれぞれ印象深く描写され、生命の成長を体現する存在です。

 『vsモスラ』は「極彩色の大決戦」のキャッチコピーに違わず、夜空を舞うモスラの色彩やvsシリーズの特色である怪獣同士の光線の応酬が鮮やかに描かれている作品です。作品のテーマは90年代のエコロジーブームを前提としており、今見ると少し時代遅れに感じる面もありますが、主役の人間たちにコスモスが投げかける別れの言葉は今見るからこそじんわりと染みるものがあって好きなんですよね。ぜひ、確かめてみてください。また人間側のドラマの軸となる「上司に使われる者の苦労」「離婚した二人の娘を挟んだぎこちない再会」といった要素も、手堅くまとまっています。

⑧バトラ:地球生命が遣わした「戦闘破壊獣」

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初登場作品:『ゴジラvsモスラ

出典作品:同上

 「黒いモスラ」とでも形容すべき姿を持つバトラは、実際にモスラの亜種です。しかし文明や人間もまた地球の一部として守り、巨体ゆえに被害を出してしまっても意図的な破壊は行わない「守護神」モスラとは異なり、地球にとっての害であるのならば容赦なく都市も人も焼き尽くすのが「破壊神」バトラのスタンスなのです。余談ですが、1990年代は『機動武闘伝Gガンダム』の東方不敗マスター・アジアとか、『覚悟のススメ』の葉隠散さまのようなエコテロリスト的思考のライバルキャラが多かった気がします。

 バトラが登場した映画作品はゴジラvsモスラ一作のみです。遥か昔に気候を操作するテクノロジーを開発したコスモスを地球の敵として攻撃し、モスラと交戦。文明を破壊することには成功したものの、モスラには敗北して封印され、人間の時代が始まってからもずっと眠り続けていました。次に目覚めるのは西暦2000年に地球を直撃する超巨大隕石を迎撃する時になるはずでしたが、環境汚染によって地球が危機に瀕していると判断し、1992年に前倒しで復活して暴れ始めてしまいます。更にゴジラまでもが出現し、モスラゴジラ・バトラの三つ巴の闘いが始まるのです。モスラとバトラは手段が大きく異なるだけで、両者の使命の根幹は同じはずなのですが――?

 バトラはモスラ同様に昆虫のクリーチャータイプを持っていると考えられます。カードの能力的にはモスラと違い繭の期間を経ずに突然幼虫から成虫に変容し、破壊を振りまく様子とうまく噛み合っているのですが、種族的にはトンチキな部類の配役です。

 バトラのカラーパイは緑黒であると考えられます地球という一つの生命体を保全するための端末であり、外敵を破壊する一方で内部の文明が行き過ぎたテクノロジーを持った場合にも襲いかかる、というのは非常に緑的です。また目的のために手段を選ばず、本来的には同じ地球に奉仕する存在でありながら方法論の違いでモスラをも敵と見なす(直接に利害の対立が発生していた超古代の戦闘はともかく、現在において卵から生まれたばかりの幼虫にまでいきなり襲いかかっています)という点では黒です。そして本作のクライマックスにおける重要なシーンで選んだ行動も、「必要であれば何でもする」黒の現れだと言えるでしょう。

怪獣の進撃はつづく

 コラボ怪獣を半分程度紹介し終えたところで、一旦区切りをつけたいと思います。文字数も10000字を超えてしまいましたからね。次回「その2」は近日中、具体的には皆さんがMTGアリーナで『イコリア:巨獣の棲処』をプレイし始めた頃にアップロード予定です。主役から名バイプレイヤーに転向した空の大怪獣ラドン、全く想定しない形で何かと話題になってしまったスペースゴジラ、vsゴジラ最後の敵デストロイア、対ゴジラ兵器メカゴジラ、そして無限に進化を続けるあのゴジラ……まだまだ凄ぇ奴らがいっぱい待っています。お楽しみに!

 (4/19追記)

続きをアップロードしました。どうぞ!

youseitutor.hatenablog.com

 

オススメきらら漫画列伝①『サジちゃんの病み日記』:狂気でも、それが彼女の「日常」

 思えば私は跳ねっ返り気質で、長いこと「日常系」というジャンル名を使うことに抵抗がありました。そこには一つならざる理由が複雑に絡み合っています。しばしば批判的な文脈で用いられるのを見て反発したかったとか、ゼロ年代後半から『魔法少女まどか☆マギカ』放送後しばらくのあいだ○○○○とか×××に散々に擦り倒されてこいつらと同じ領域で喋っていると思われるのが嫌だったとか、他にも色々。

 ただ今となっては、日常系というジャンルが存在し根強い人気を得ていることに異論はありません。また『まんがタイムきらら』系列の漫画雑誌から世に出る作品の多くが日常系であることも認めるようになりました。

 なぜなら、多くの公式なプロジェクトが「きららといえば、日常」であることを盛んに主張しているからです。

www.kiraraten.jp

kirarafantasia.com

 

 大盛況のうちに幕を閉じた『まんがタイムきらら展in大阪』のキャッチコピーは「日常の祭典、西でふたたび。」ですし、アニメ化タイトルを中心としたクロスオーバーRPG『きららファンタジア』は「かわいい日常と、はるかな冒険と。」を標榜しています。総本山がそう言うのならば、忠実なる猟犬を自負する私としては従わない選択肢はありません。

 それに事実として、きららレーベルに列する作品は日常系というジャンルを強みとして自覚しながらも、その枠を大胆に拡張する試みを続けてきました。『NEW GAME!』が社会人の正業としてのゲームづくりのシビアさを日常に織り込んだように。『がっこうぐらし!』が死と隣り合わせのゾンビパンデミックの中で逃れ得ぬ日常を読者に突きつけたように。或いは『まちカドまぞく』が残酷な伝奇的世界で和やかな日常が保たれる聖域と、それを維持するための不断の努力を描いたように。

 さて。今回皆さんにご紹介するのは、諸先生方が様々な手法で探求してきた日常系のフロンティアを暴力的かつ痛切にこじ開けた異形の星『サジちゃんの病み日記』です。

 

サジちゃんの病み日記 (1) (まんがタイムKRコミックス)

サジちゃんの病み日記 (1) (まんがタイムKRコミックス)

 

 

 

サジちゃんの病み日記 (2) (まんがタイムKRコミックス)

サジちゃんの病み日記 (2) (まんがタイムKRコミックス)

 

 ……題名と表紙からして、だいぶ濃厚なダークオーラが出ていますね。「掲載誌は『きんいろモザイク』や『ご注文はうさぎですか?』と同じまんがタイムきららMAXです!」と言っても信じてもらえないかもしれません。(尤も実際のところ、きららMAXには実験的な作風のタイトルを多く受け入れてきた風土があるのですが)

 とはいえ、本作は誤解を恐れずに言えば十分に「きらら的」な漫画です。つまるところ、少女たちのいつもと変わらない生活を情感豊かに描いています。ただ、その「いつも」が私達が知るものではない、というだけで。

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      キャラクター紹介(2巻,2P)

 物語の骨子は、「幼少期に別れたきりの幼馴染同士が再会し、関係性が再び動き出す」という王道ど真ん中を突き抜けるシチュエーション――2020年1月期きららアニメの『恋する小惑星』も活用している――の悪夢的なオマージュです。

 もし久々に現れた幼馴染が、10年近くの時間を只管に去っていた友とのあどけない約束に捧げ、歪みきった想いを抱えたストーカーとなっていたら。その答えが本作の主人公・サジちゃんこと月宮沙慈と言えるでしょう追いかける一歳上の想い人の名は江戸川ひかり。彼女が通う高校を突き止めたサジちゃんが、自らもそこに進学した所から物語は始まります。普通なら直接顔を合わせれば良いところを、なぜか授業を抜け出してひかりを監視するサジちゃんは、想定外の事態に直面しました。今のひかりの隣には、橋口メロという親友が常に寄り添っているのです。そしてサジちゃんの異常な独占欲が導き出した答えは、メロの排除でした。

 本作の面白さでまず目につくのは、全体的にネジの外れた登場人物たちのアクの強さでしょう。サジちゃんはストーキング、盗撮、盗聴、脅迫、殺人未遂、不法侵入、誘拐とあらゆる犯罪行為を厭わない、超のつく危険人物。その脅威に対峙するメロも、サジちゃんが抱える滑稽さを楽しんで警察に突き出すのを放棄してしまったのを皮切りに、刹那的な部分が目立ちます。そして被害者であるひかりでさえ、過剰にぼんやりした所があったりZ級ホラーの中毒的なファンだったりと一筋縄ではいかない人物です。ハイテンポのための突飛さが受け入れられやすい(ブラック)コメディの媒体としての4コマ漫画という立ち位置を自覚的に活用した人物配置が、まず一見して楽しい刺激を与えてくれます。

 そのパンチの効いたキャラクター造形の一方で、ストーリーの中核には「相互理解」と「赦し」という筋の通ったテーマがあります。メロとサジちゃんは互いに反目しながらも、同じ人を愛する人間として奇妙な絆を育んでいきます。その中でメロが発見していくのは、恋敵の精神の幼さに起因する動物的な純粋さと執着の裏返しと言える義理堅さのきらめき。そして、もし彼女がまっすぐひかりと向き合えれば、という希望すら抱くようになっていきます。対してサジちゃんも、メロと腐れ縁に近い関係性を構築し不服ながらも頼み事をする様子を見せるのです。ひかりにしか興味が無かったサジちゃんが、動機は不純とは言えメロを頼り、その内面を知ろうとしていきます。すなわち二人の間には「同じ女を好きって百合なんだよな」の構造が織り込まれているのです。それも「好き」は明確に恋愛・性愛の文脈であり、きらら系列誌の連載作品としては「踏み込み」が深い部類といえます。

 サジちゃんにとって、ひかりをストーキングしメロと戦うことは日々のルーチンワークであり、紛れもない『日常』です。対して奇妙な出会いに当惑しながらも、彼女を一人の人間として理解しようと試み、少しずつ距離を縮めていく──そんなメロの過程もまた、『日常』的に私達が経験するコミュニケーションと地続きの経験に他なりません。『サジちゃんの病み日記』は物語の前半1巻を用いて、自らが「少女たちの日常を描く作品が支配的なまんがタイムきらら系列誌の漫画」であることを果敢に証明しているのです。

 そして、2巻で派手にひっくり返します。

 私個人としては、2巻については可能な限り情報を仕入れずに鮮烈な体験をしてほしいので、多くを語るつもりはありません。1巻の説明に字数を割いたのは、2巻のために前提を共有してほしかったからです。

 一つの『日常』の形を受け入れた時、それを破壊する者が現れたなら? そもそも、赦される罪というものはあったのか? 烈しく揺るがすためにこそ丁寧に形作られた土台の上で、サジ・メロ・ひかりの三者が直面する試練と、その答えを決して見逃さないでください。あと、凛道うさぎというきらら史上屈指のヤバい女のことも。

 あっ。ちなみに『サジちゃんの病み日記』全2巻、今なら(2020/03/28現在)Amazon電子書籍版が半額セール中みたいですよ。これは買うっきゃない!

 (なお2巻には写植抜けがありますので、こちらのリンクをご確認のうえ、該当ページに到達した際には修正版をご覧ください)

www.dokidokivisual.com